現在の位置

仏教伝来の地

当時の仏像の様子

桜井市金屋の河川敷のあたりは、昔、大陸からの船が大阪(難波津)から大和川をさかのぼって到着する船着場があった場所で、諸国や外国から多くの遣いや物資が上陸したと伝えられています。

欽明天皇の時代に、百済(いまの韓国西部)からの使節も川をさかのぼり、この地に上陸し、仏教を伝えたと言われています。現在、その地には金屋河川敷公園が整備され、「佛教伝来之地」の碑が建てられています。

もともと日本人は八万神(やおよろずのかみ)を信仰していましたが、仏教の教えが優れた文化や書物と一緒に伝えられると、外国から来た神として、その信仰はまず貴族など上流階級の人々の間に広まっていきました。

『日本書紀』によると、欽明天皇は、「いままでにこのような教えは聞いたことがない。」とお喜びになり、大臣たちに仏教を受け入れるかどうかを尋ねられました。このとき大臣のひとりの蘇我稲目は「仏教は優れた大陸の文化であり、西の国では皆、仏を礼拝しています。日本(ヤマト)も受け入れるべきです。」と答えました。一方、物部尾輿、中臣鎌子は、「新たに外国の神である仏を拝むことになると、日本の神の怒りを招くでしょう。」と反対しました。

そこで天皇は、仏像を蘇我稲目に授けて、ためしに礼拝することを許しましたが、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立することになります。この争いが、当時の政界を二分する主導権争い、権力争いとなり、桜井のシキ、イワレ地方の宮都やアスカを舞台にくりひろげられました。

この両者の争いは、587年に蘇我馬子らによって物部守屋が殺され、物部氏が滅ぼされて決着がつきます。蘇我氏が主導権を握ったことで、こののち仏教は、日本全国に広まっていきました。

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