現在の位置

纒向日代宮伝承地

古代の英雄倭健命所縁の地

纒向日代宮は、第12代景行天皇が営んだ宮です。記紀によりますと、景行天皇の時、皇子の小碓尊(オウスノミコト)、別名、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が活躍したとされています。 倭建命は、天皇の命を受けて大和に従わない九州の熊襲(クマソ)や出雲の国へ、一度帰朝してまた東の国々へと遠征を重ね、次々に服従させていったという古代の英雄です。 「大和は国のまほろば たたづく青垣 山ごもれる 大和し美し」※は、命が遠征の帰途、病を得て亡くなる時に、ふるさと大和への思いを詠まれた歌の一節とされています。

物語のタイトルに矢印のアイコンがついているものは、クリックでサブストーリーを見ることができます。

記紀万葉の物語(景行天皇の条)

  • 倭建命の熊襲遠征の物語

※記紀とは、奈良時代(AD.710~AD.794)に編纂された『古事記』『日本書記』のことを指し、日本の神話や歴史を伝えている日本で現存する最古の重要な歴史書である。

倭建命の熊襲遠征の物語・東国遠征の物語

景行天皇の息子・小碓命(おうすのみこと)のとても気性が荒い少年でした。それを恐れた天皇は、彼を遠ざけようと、西国に行って熊曾建(くまそたける)兄弟を討つよう命じます。
熊曾建兄弟の館は、多くの兵士によってかたく守られていました。そこで小碓命は女装をして少女になりすますと、宴の時を見はからって館へ。浮かれた兄弟のすきをついて兄を刺し殺し、逃げる弟を追い詰めます。弟は「西方に敵なしのわれら兄弟をしのぐ強者が、大倭(おおやまと)の国にはいたようだ」と武勇をたたえ、「倭建命」の名をさずけました。
西方征伐を果たした倭建命でしたが、天皇はさらに東方への遠征を命じます。「父は、わたしの死を願っておられるのか…」倭建命は涙にくれました。
東国の勇敢な神や人々を下した倭建命ですが、都へ帰る途中、伊吹山の神を討ちに行き、逆に大氷雨を浴びせられます。倭建命は瀕死の体で都を目指しますが、ついに能煩野(のぼの=三重県)で力尽きました。
胸にあるのは、望郷の想いか、父への無念か。その最期に数首の歌をよみ終えた倭建命は、能煩野の地で短い命を終えました。哀しき勇者の魂は大きな白い鳥となって、西方へ飛び立ったといいます。

閉じる