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泊瀬列城宮伝承地

ヤマト王権の重要拠点の一つ

泊瀬列城宮は、第25代武烈天皇が営んだ宮です。宮のあったとされる初瀬谷は、大和の国から伊勢・東海方面へ通じる古代の主要道となっていました。谷の入口には、雄略天皇の泊瀬朝倉宮もあったとされ、ヤマト王権の重要な拠点の一つであったと考えられています。 日本書紀には、武烈天皇と当時、権勢をほしいままにしていた大臣の平群眞鳥(ヘグリノマトリ)との争いや、その息子の平群鮪(ヘグリノシビ)と影姫をめぐる悲話が記されています。また、武烈天皇には子がなく、次代には、応神天皇の5世の孫となる継体天皇を越の国(北陸)から迎えたと記されています。

記紀万葉の物語(武烈天皇の条)

※記紀とは、奈良時代(AD.710~AD.794)に編纂された『古事記』『日本書記』のことを指し、日本の神話や歴史を伝えている日本で現存する最古の重要な歴史書である。