現在の位置

訳語田幸玉宮伝承地

蘇我氏と物部氏の対立が表面化した時代

訳語田幸玉宮は、第30代敏達天皇が営んだ宮です。記紀によりますと、敏達天皇は、初め百済大井宮※を営んでいましたが、占いによりこの地に宮を移したとされています。先に我が国に伝来した仏教については、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との対立が表面化していきます。蘇我氏が仏法を広めたせいで疫病が発生したと物部氏から進言を受けた敏達天皇は、仏教を禁止して仏像や仏殿を焼くなどしたと記されています。また、外交面では、先代の欽明天皇の遺志を継いで、朝鮮半島進出の拠点であった任那の復興を目指して、百済や新羅と外交を続けたと記されています。 ※百済大井宮の所在については、桜井市のほか、河内長野市、富田林市、北葛城郡広陵町など諸説あります。

記紀万葉の物語(敏達天皇の条)

※記紀とは、奈良時代(AD.710~AD.794)に編纂された『古事記』『日本書記』のことを指し、日本の神話や歴史を伝えている日本で現存する最古の重要な歴史書である。