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倉梯柴垣宮伝承地

仏教の興隆と崇峻天皇暗殺の影

倉梯柴垣宮は、第32代崇峻天皇が営んだ宮です。記紀には、崇峻天皇の時、かねてより仏教の礼拝などをめぐる蘇我氏と物部氏との対立がついに戦となり、物部守屋が戦死して廃仏派の物部氏が敗れ、没落した丁未の乱(物部守屋の変)といわれる事件が記されています。後に聖徳太子となる厩戸皇子も崇仏派の蘇我馬子の側につき戦に加わったとされていますが、この事件の後、仏教は我が国に厚く受け入れられるようになり、寺院の建立も盛んに行われるようになりました。また、この結果、蘇我氏が大きな権力を得ることとなり、後に崇峻天皇が暗殺される要因になったとされています。

記紀万葉の物語(履中天皇の条)

※記紀とは、奈良時代(AD.710~AD.794)に編纂された『古事記』『日本書記』のことを指し、日本の神話や歴史を伝えている日本で現存する最古の重要な歴史書である。