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平成16年度速報展

『平成15年度発掘調査速報展』

平成16年6月9日(水曜日)~10月3日(日曜日) 桜井市立埋蔵文化財センター
-夏季企画展「平成15年度発掘調査速報展」解説書 より抜粋- 2004年6月

1.はじめに

桜井市内には、纒向遺跡をはじめとし、全国的にも貴重な文化遺産が数多く存在します。
当センターでは、市民の皆様にそれらの文化財に対し深い理解と親しみを得ていただくために、遺跡写真、遺物等の展示や公開に取り組んでいます。

今回の展示は、平成15年度に行われた市内遺跡の発掘調査の成果および昨年度に復元処理を終えた遺物を紹介しています。
平成15年度の調査は計20件行われ、纒向遺跡、磐余遺跡群、赤尾崩谷古墳群などをはじめとし、ここに紹介するような大きな成果が得られました。
昨年度の成果ということもあり整理途中のものが多く、すべてを展示することはできませんが、当地域の文化遺産の理解と愛着を深めていただく助けになれば幸いに思います。

平成15年度発掘調査一覧

  1. 河西遺跡5次
  2. 大福(だいふく)遺跡23次
  3. 東新堂遺跡9次
  4. 芝遺跡32次
  5. 谷遺跡18次
  6. 纒向(まきむく)遺跡135次
  7. 三輪遺跡20次
  8. 磐余(いわれ)遺跡群6次
  9. 能登(のと)遺跡2次
  10. 大藤原京関連遺跡42次
  11. 慈恩寺(じおんじ)遺跡3次
  12. 大藤原京関連遺跡43次
  13. 東新堂遺跡10次
  14. 赤尾崩谷(あかおくずれだに)古墳群
  15. 城島(しきしま)遺跡32次
  16. 上之庄遺跡9次
  17. 城島遺跡33次
  18. 纒向遺跡136次
  19. 纒向遺跡137次
  20. 纒向遺跡138次

写真は、広報「わかざくら」~発掘調査現場から~に掲載分 他

2.発掘調査の成果

(1)芝遺跡

桜井市北西部に位置する芝遺跡は、奈良盆地を代表する弥生時代の集落遺跡の一つです。
平成15年度に実施された第32次調査では、弥生時代中期後半の方形周溝墓や弥生時代後期の溝などが検出されました。
このうち東西方向に走る状況が確認された溝は、幅約7メートルの大規模なもので、南側の肩に沿って多量の土器が見つかりました。溝の全容は明らかにできませんでしたが、遺物の出土状況から、何か祭祀的な意味を持つ溝である可能性が考えられます。(写真は、方形周溝墓(芝32次))

方形周溝墓(芝32次)の写真

詳しくは発掘調査報告(200回~209回)ページの発掘調査現場から(200回)芝遺跡の調査(1)発掘調査現場から(201回)芝遺跡第32調査(2)をご覧ください。

発掘調査報告(200回~209回)

(2)纒向(まきむく)遺跡

平成15年度の纒向遺跡の調査は箸中(はしなか)地内で計4件行われました。
平塚古墳の隣接地で行われた第135次調査は、古墳に直接関連する遺構は見られませんでしたが、多数の埴輪などが出土し、平塚古墳が古墳時代後期に築造されたことがわかりました。また、その下層からは弥生時代後期後半の溝を検出しました。

第136次調査は調査区全域が旧河道内に位置しており、明確な遺構は確認できませんでしたが弥生時代後期~布留(ふる)式期の遺物が多量に出土し、周辺にそれらの時期の集落が存在することを想定させるものとなりました。

隣接した場所で行われた第137・138次調査では、4世紀前半(布留1式期)と思われる竪穴住居が各調査区で1棟ずつ検出され古墳時代前期の集落域の一角が判明しました。
また、住居廃絶直後の方墳1基(布留1式期)、時期不明の方墳が3基、古墳時代後期の円墳1基の計5基の古墳を新たに発見しました。これらの成果は古墳時代を中心に栄える纒向遺跡
の集落域や墓域の動向を考える上で重要な成果といえます。(写真は、弥生土器の出土状況)

弥生土器の出土状況の写真

詳しくは発掘調査報告(200回~209回)ページの発掘調査現場から(204回)平塚古墳南側の調査をご覧ください。

発掘調査報告(200回~209回)

(3)城島(しきしま)遺跡

城島遺跡は、初瀬谷が盆地平野部へと開口する地点に立地する遺跡です。
第33次調査地は遺跡の南側を流れる粟原川の北岸に位置しています。調査では、微高地から湿地状の落ち込みへと移行する旧地形を検出し、落ち込みから至近の居住域より廃棄されたと考えられる弥生時代中期の土器がまとまって出土しました。
また、地形の傾斜変換点にあたるところで、サヌカイトの石屑が詰まった径50センチメートル程の土坑を検出しました。当地で石器製作が行われたことを示す良好な資料といえます。

(4)大藤原京関連遺跡

大藤原京関連遺跡43次調査は、寺川北岸の東西約1.1キロメートル(大福~東新堂)にわたる農道工事に先立って行われました。
工事区域の中で、大藤原東条坊道路推定地にあたる場所に合計7ケ所の調査区を設けました。その中で橿原市との市境付近の第1トレンチで藤原京期の井戸と道路側溝(東五坊坊間路)を検出しました。
井戸からは、斎串(いぐし)4本、ひょうたんの実、土師器甕などが出土しました。井戸には古来より神が宿ると思われ、様々な祭祀が行われていたと考えられます。これらの遺物は当時の井戸祭祀を考える上で重要な成果といえます。

(写真は、井戸遺物出土状況(大藤原京43次))

井戸遺物出土状況(大藤原京43次)の写真

(5)赤尾崩谷(あかおくずれだに)古墳群

1号墳第3主体部遺物出土副葬品の写真

(写真は、1号墳第3主体部遺物出土副葬品)
注釈:夏季企画展「平成15年度発掘調査速報展」で展示中
写真では不鮮明ですが、是非展示中の色鮮やかな副葬品をご覧ください。

赤尾崩谷古墳群は、市内中央に位置する鳥見(とみ)山の北麓に形成された古墳時代中~後期の古墳群です。平成13~15年度に調査した結果、木棺を直葬した古墳を5基(1~3号墳が中期未、4・5号墳が後期初め)確認しました。

子持勾玉埋納坑出土品 1号墳は一辺16メートルの方墳で、墳頂で合計3基の埋葬施設を検出しました。中でも中心となる埋葬施設からは小型の重圏(じゅうけん)文鏡や鋸歯(きょうし)文鏡に加え、垂飾付耳飾り、翡翠(ひすい)・水晶(すいしょう)・瑪瑙(めのう)・琥珀(こはく)・緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)・滑石(かっせき)などの石や銀・金銅・ガラスで作られた色とりどりの玉類(3000点以上)、鉄剣、刀子、須恵器などの豊富な副葬品が出土しました。

2号墳は直径12メートルの円墳で、墳丘に円筒埴輪が巡らされてました。

3号墳は一辺11メートルの方墳で、墳丘中央で見つかった埋葬施設からは群青・薄縁・水色のガラス玉、翡翠の勾玉(まがたま)、鉄地金銅装の馬具などが出土しました。

4号墳は一辺16メートルの方墳です。墳丘中央を大きく盗掘されていましたが、鉄製の鉾(ほこ)・石突(いしづき)・刀子(とうす)を副葬した埋葬施設が運よく残っていました。

5号墳は一辺13メートルの方墳で、埋葬施設から鉄剣・刀子・鉄鏃(てつぞく)やガラス玉、土師器甕が出土しました。
古墳以外にも子持勾玉を納めた須恵器甕を検出するなどの成果が得られました。

(写真は、子持勾玉(こもちまがたま)埋納坑(まいのうこう)出土品)

子持勾玉(こもちまがたま)埋納坑(まいのうこう)出土品の写真

(6)磐余(いわれ)遺跡群

磐余遺跡群の発掘調査は、山田・池之内地区での圃場整備事業に先立つ調査として平成11年度から行っており、平成15年度で6回目を数えます。
今回の調査では主に丘陵上で古墳を、一部の水田部分で池や沼があった事を示す腐植(ふしょく)層を確認しました。古墳は、県立農業大学校周辺に所在する池之内古墳群と同時期の4世紀後半のもので、周溝だけ残っていた例を含めると合計4基検出しました。
そのうち最も墳丘の残りが良かった第7トレンチの古墳墳頂部から埋葬施設の痕跡が、その北側裾からは大型の壷棺が出土しました。
また第12トレンチで検出した古墳では、周溝内から円筒埴輪が原位置を保ちつつ直線的に並んで検出されました。
腐植層は、第5トレンチで確認できた層と第3次調査前田地区で検出した6世紀後半~7世紀の遺物が包含される層とが同一とすると、その範囲と時期から、吉備~阿部と並び池之内~池尻一帯も推定地の一つとされる磐余(いわれ)池を窺わせる資料となっています。

(写真は、中央の溝の断面に見える腐植層)

 

中央の溝の断面に見える腐植層の写真

詳しくは発掘調査報告(200回~209回)ページの発掘調査現場から(203回)池之内に残る池・沼の跡をご覧ください。

発掘調査報告(200回~209回)

お問い合わせ先
桜井市教育委員会事務局 文化財課
〒633-0074 桜井市大字芝58-2
電話:0744-42-6005
FAX:0744-42-1366