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平成17年度速報展

『平成16年度発掘調査速報展』

平成17年6月8日(水曜日)~10月2日(日曜日) 桜井市立埋蔵文化財センター
-夏季企画展「平成16年度発掘調査速報展」解説書 より抜粋- 2005年6月

1.はじめに

『土の下に眠る古代の桜井』

平成16年度に行われた発掘調査は計24件を数えます。このうち古代の道路や大藤原京の条坊に伴う遺構を上之庄・安倍寺遺跡で、祭祀(さいし)に関する遺構・遺物を大福・纒向(まきむく)遺跡で、鍛冶に関する遺物を谷・安倍寺遺跡で確認し、また珠城山(たまきやま)古墳群の範囲確認調査では古墳に関するものだけでなく、平安時代の木棺墓を検出するなど多くの成果を得る事ができました。
今回の速報展ではこれらの成果を中心に過去の調査資料をふまえながら、土の下に眠る桜井の古(いにしえ)の姿を見ていきたいと思います。

平成16年度発掘調査一覧

  1. 上之庄遺跡第10次調査
  2. 城島遺跡第34次調査
  3. 大福遺跡第24次調査
  4. 谷遺跡第19次調査
  5. 上ツ道推定地(遺物散布地14-B-17)
  6. 忍阪遺跡第4次調査
  7. 磐余遺跡群第7次調査
  8. 城島遺跡第35次調査
  9. 纒向遺跡第139次調査
  10. 城島遺跡第36次調査
  11. 大藤原京関連遺跡第44次調査
  12. 纒向遺跡第140次調査
  13. 粟殿遺跡第6次調査
  14. 城島遺跡第37次調査
  15. 上之宮遺跡第18次調査
  16. 纒向遺跡第141次調査
  17. 安倍寺遺跡第14次調査
  18. 纒向遺跡第142次調査(箸墓古墳周辺第14次調査)
  19. 阿倍山田道推定地
  20. 谷遺跡第20次調査
  21. 谷遺跡第21次調査
  22. 珠城山古墳群第4次調査
  23. 横大路遺跡第2次調査
  24. 安倍寺遺跡第15次調査

2.発掘調査の成果

(1)【阿倍山田道】17.19

安倍寺遺跡第14次調査では、南北溝とその東側に轢(れき)が集中している状況を確認しました。平成14年度に今回の場所の北側で行われた第12次調査で、古代の官道である阿倍山田道の一部と推測される石組溝と石敷が確認されており、これらは同じ遺構になる可能性が高いと考えられます。
なお、第14次調査地から北東に位置する阿倍山田道推定地で行った調査では、道路に関する遺構は検出できなかった事から、12・14次調査地より北方は阿倍山田通がどのようなルートを通っていたのかは今後の検討課題となります。

安倍寺遺跡第12次調査 石組溝の写真

(安倍寺遺跡第12次調査 石組溝)

詳しくは発掘調査報告(180回~189回)ページの発掘調査現場から(188回)安倍寺遺跡の調査(その1)をご覧ください。

発掘調査報告(180回~189回)

(2)【大藤原京東京極(ひがしきょうごく)の追確認】1

上之庄遺跡第10次調査は、第4次調査で大藤原京東京極(ひがしきょうごく)である東十坊大路(ひがしじゅうぼうおおじ)が検出されているところの北側で行われました。
その結果、2ケ所に設定したトレンチから東十坊大路の西側側溝を長さ約50メートルとそれに接続する北五条大路(きたごじょうおおじ)の南側側溝を長さ約7メートルにわたって確認する事ができました。
調査地の都合上残念ながらそれぞれ片側の道路側溝のみの検出でしたが、この調査成果は大藤原京が大字上之庄にまで広がっていた事を追確認する資料となりました。

(3)【古墳の範囲確認調査】18、22

今年度は、箸墓古墳と珠城山(たまきやま)古墳群の調査を行いました。
珠城山古墳群では、2号墳を中心に8ケ所のトレンチを認定しました。各トレンチは墳丘(ふんきゅう)の裾の推定位置に設定したものの、中世以降に削平などを受けて大きく形を変えられており、本来の形状と規模は現在の状況と異なっている事がわかりました。この他には、2号墳後円部の墳丘盛土は約3~4メートルあり、比較的平坦な基盤の上に築造されている事や墳丘東・北裾には円筒埴輪が巡っていない事も合わせて確認できました。
箸墓古墳周辺での調査は、主に周濠(しゅうごう)や外堤(がいてい)の範囲確認が目的でしたが、一部周濠の可能性が残る遺構が見つかったものの、明確な形では検出されなかったため、その形や規模については今後の調査の課題となっています。

(4)【平安時代の木棺墓(もっかんぼ)】6、22

忍阪(おっさか)遺跡第4次調査では、東西に主軸を持つ長辺約1.7メートル短辺約45センチメートルの平安時代の木棺墓が検出されました。棺内には化粧道具と思われる八稜鏡(はちりょうきょう)と横櫛(よこぐし)・徳利(とっくり)形の小型壷・土師皿などが入れられていた事から、被葬者(ひそうしゃ)は女性であった可能性が高いと考えられます。
また珠城山古墳群の2号墳の墳丘北裾の調査でも、東西に主軸を持つ忍阪のものとほぼ同じ大きさの平安時代の木棺墓が検出され、合(あわ)せ口(くち)の状態で出土した黒色土器(こくしょくどき)の椀や土師皿・壷・鉄製刀子(とうす)などが副葬されていました。

忍阪遺跡第4次調査 木棺墓の写真

(忍阪遺跡第4次調査 木棺墓)

珠城山古墳群第4次調査 木棺墓の写真

(珠城山古墳群第4次調査 木棺墓)

詳しくは発掘調査報告(210回~219回)ページの、発掘調査現場から(217回)平安時代の木棺墓(珠城山古墳群第4次調査)、発掘調査現場から(214回)忍阪遺跡第4次調査をご覧ください。

発掘調査報告(210回~219回)

(5)【鍛冶(かじ)関連遺物】4,17

谷遺跡第19次調査と安倍寺遺跡第14次調査では、自然流路跡に堆積していた砂礫(されき)層や遺物包含層(いぶつほうがんそう)から、多量の古墳時代中期末~後期の須恵器・土師器が出土しました。
また、遺物の中には近年の両遺跡の調査で多く確認されるようになった鍛冶(かじ)に関連する遺物である鉄滓(てっさい)やフイゴの羽口(はぐち)なども多数出土しており、古墳時代に谷遺跡や安倍寺遺跡一帯に存在していたと考えられる鍛冶工房(か じこうぼう)の一端を垣間見る事ができます。

谷遺跡第19次調査 出土遺物の写真

(谷遺跡第19次調査 出土遺物)

詳しくは発掘調査報告(210回~219回)ページの、発掘調査現場から(211回)増加する鍛冶工房の存在を示す遺物をご覧ください。

発掘調査報告(210回~219回)

(6)【掘立柱建物】7,24

安倍寺遺跡第15次調査では、古墳時代前期の掘立柱建物を1棟検出しました。この建物は第9次調査で確認した竪穴式住居や区画溝の主軸に揃う事から、古墳時代前期の集落の範囲を考えるうえでの貴重な例になると考えられます。
また、磐余(いわれ)遺跡群第7次調査では、尾根上のトレンチから飛鳥時代の掘立柱建物を検出しました。これまでの調査でも大型のものを含む建物が見つかっており、大字池之内の尾根上には立地や大きさなどから一般の集落とはやや異なる可能性がある建物が立ち並んでいたと思われます。

安倍寺遺跡第15次調査 掘立柱建物の写真

(安倍寺遺跡第15次調査 掘立柱建物)

詳しくは発掘調査報告(210回~219回)ページの、発掘調査現場から(218回)安倍寺遺跡15次調査をご覧ください。

発掘調査報告(210回~219回)

(7)【祭祀(さいし)遺構と遺物】3,12

纒向(まきむく)遺跡第140次調査からは、古墳時代前期の遺構で、大字辻周辺で多く見つかっている円形の大型土坑(どこう)が確認され、中からは多量の土器・木製品・籠(かご)・木の燃えかす・瓢箪などが出土しました。これらの土坑は、水の湧く深さまで掘られたうえに日常使用する物とは異なる遺物の出土が多い事から、水や火を使った祭祀を行っていた遺構と考えられています。
また大福遺跡では、銅鐸(どうたく)とその埋納坑(まいのうこう)が検出された第3次調査地の北側で第24次調査が行われました。調査の結果、北に向かって緩やかに低くなる低地にたまっていた土の中からミニチュア土器を含む多量の完形(かんけい)となる土器が出土しました。銅鐸の存在も含め、調査地周辺は何らかの祭祀を行った場所であった可能性も考えられます。

纒向遺跡第140次調査 士坑1出土 籠の写真

(纒向遺跡第140次調査 士坑1出土 籠)

大福遺跡第24次調査 土器出土状況の写真

(大福遺跡第24次調査 土器出土状況)

詳しくは発掘調査報告(210回~219回)ページの、発掘調査現場から(213回)大福遺跡第24次調査、発掘調査現場から(215回)纒向(まきむく)遺跡の祭祀土坑(さいしどこう)(1)、発掘調査現場から(216回)纒向(まきむく)遺跡の祭祀土坑(さいしどこう)(2)をご覧ください。

発掘調査報告(210回~219回)

お問い合わせ先
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