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平成18年度速報展

『平成17年度発掘調査速報展』

平成18年6月7日(水曜日)~10月1日(日曜日) 桜井市立埋蔵文化財センター
-夏季企画展「平成17年度発掘調査速報展」解説書 より抜粋- 2006年6月

1.はじめに

桜井市内には纒向遺跡や大福遺跡をはじめ、全国的に注目される遺跡が数多く存在します。当センターでは、みなさんがこれら遺跡に対する関心を深めてくださることを願って、展示や考古学講座などの活動を行ってきました。
今回の展示では、平成17年度に市内において実施した発掘調査の成果を紹介しています。
ケースに並んでいる遺物はつい数ケ月前まで土の中に眠っていたもので、洗浄・接合などの整理作業を経てご覧いただけるかたちになりました。これらを通じて、昨年度1年間で新たにわかった桜井市の歴史を知っていただき、少しでも当地域の埋蔵文化財に親しみを感じていただければ幸いです。

平成17年度発掘調査一覧

  1. 城島遺跡第38次 (主な遺構):旧河川堆積層
  2. 外鎌山北麓古墳群第6次 (主な遺構):なし
  3. 安倍寺跡第19次 (主な遺構):瓦溜、柱穴
  4. 珠城山古墳群第5次 (主な遺構):2号墳掘割、土壙墓
  5. 大藤原京第45次 (主な遺構):古墳時代前期の落ち込み
  6. 城島遺跡第39次 (主な遺構):古墳時代前期の溝、古墳時代後期の柱穴・竪穴住居跡
  7. 大藤原京第46次 (主な遺構):東九坊大路、井戸、旧流路
  8. 高家遺跡群第13次
  9. 纒向石塚古墳第9次(纒向遺跡第144次) (主な遺構):石塚古墳周濠、方形周溝墓2基、 削平古墳(石塚東古墳)、井戸、柱穴
  10. 谷遺跡第22次 (主な遺構):なし
  11. 城島遺跡第40次 (主な遺構):弥生時代中期の溝
  12. 纒向遺跡第145次 (主な遺構):削平古墳2基(ヤナイタ1・2号墳)、古墳時代前期の土坑

2.調査成果

(1)纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)
第9次(纒向遺跡(まきむくいせき)第144次)【番号9】

【はじめに】
纒向石塚古墳は昭和46年に調査が行われて以来、最古段階の前方後円墳として全国的に注目を浴び、前方後円墳の発生を考える上で非常に重要な古墳です。桜井市においても、これまでに古墳の形状を確かめる為に計8度の調査を行い、平成7年には市史跡に指定し保存と整備に努めてきました(平成18年1月26日に纒向古墳群の一部として国史跡に指定。)。
今回の調査は、古墳の東側の周濠(しゅうごう)の外側のラインを見つけ、これまでの成果とあわせて纒向石塚古墳にめぐる周濠の全体像を明らかにする目的で行いました。

【主な遺構】

  • 纒向石塚古墳周濠

纒向石塚古墳の周濠の一部と思われる調査区の南西方向に向かって傾斜していく落ち込みを長さ16メートルにわたって検出しました。これまでの調査成果をあわせて考えると、纒向石塚古墳の周濠は後円部では墳丘に沿うようにつくられ、くびれ部から前方部に向かって直線的に細くなるいわゆる馬蹄形(ばていけい)に近い形状に復元することができました(調査結果から想定される周濠ライン図)。

調査結果から想定される周濠ラインの図

調査結果から想定される周濠ライン図

調査区全景の写真

調査区全景の写真
写真左下が纒向石塚古墳周濠、左上の「コ」字形の溝が方形周溝墓1、右下隅の溝が方形周溝墓2、右上の溝が石塚東古墳の周濠です。

  • 方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)1・2

纒向石塚古墳の周濠に接するように、庄内(しょうない)3式期(3世紀中頃・方形周溝墓1)と布留(ふる)0式期(3世紀後半・方形周溝墓2)の方形周溝墓が2基確認され、方形周溝墓1からは甕、壷、高杯、鉢、器台をはじめとする多量の土器が出土しました。

  • 石塚東古墳

調査区東側では5世紀後半のものと考えられる帆立貝形の古墳を新たに発見しました。墳丘は削平され残っていませんでしたが、周濠内からは多くの円筒埴輪および笠形、鳥形、櫂形(かいがた)、竪杵(たてぎね)などの木製品が出土しています(写真3)。
また、転落した石材も多く見つかり、墳丘には茸石があったこともわかりました。

【まとめ】
今回の調査で、纒向石塚古墳の周濠の全形が判明したことや、周囲から方形周溝墓が確認されたことは、前方後円墳の成立や展開はもちろん、古墳時代の始まりを考える上でも重要な成果と言えます。
また、石塚東古墳の発見は纒向遺跡衰退後の古墳時代中期~後期の古墳の動向を知る上で貴重な成果ですし、周濠から出土した円筒埴輪をはじめとする多くの遺物は当時の古墳祭祀や埴輪生産を考える上で重要な資料となります。

石塚東古墳周濠の写真

(写真3)石塚東古墳周濠
濠の外側に並んでいた埴輪が倒れて濠に落ち込んだ様子がよくわかります。

(2)纒向遺跡(まきむくいせき)第145次【番号12】

【はじめに】
桜井市の北部に位置する纒向遺跡は、古墳時代前期の大規模集落遺跡として全国的にも知られています。これまでに140次を超える発掘調査が実施され、当時の日本列島の中でもきわめて重要な集落が存在したことが明らかになっています。
第145次調査では、2基の古墳のほか、古墳時代前期の土坑(どこう)が確認されました。

【主な遺構】

  • ヤナイタ1号墳・2号墳

調査区の北側部分において、2基の古墳が確認されました。いずれも墳丘の大部分が失われていますが、墳丘の周囲をめぐる溝が残存しており、全長10メートル前後に推定される2基の方墳の存在が明らかになりました。
このうち南側に位置する2号墳の周囲では、円筒埴輪や朝顔形埴輪が見つかっており、5世紀末~6世紀初頭頃に築造されたと考えられます。

  • 土坑2

径1.2メートルの円形の土坑で、検出面からの深さは約1メートルを測ります。底面では土器や砥石(といし)が見つかっており、埋土中からは籠(かご)が出土しました。
掘削(くっさく)時期は3世紀前半~中頃と考えられます。

  • 土坑4

径約2.1メートル、検出面からの探さが1.2メートルの円形の土坑で、土器類のほか、一部が炭化した木片や、6個体以上の土製支脚(どせいしきゃく)が出土しました。
掘削時期は、出土遺物から土坑2よりもやや新しい3世紀後半頃に考えることができます。

【まとめ】
今回の調査では、古墳時代の遺構が複数確認されました。土坑2・土坑4については、これまでの調査でも類例が知られています。これらは井戸のような用途が推定されますが、火を使用した祭祀行為との関連も指摘されています。当時の集落の様相や祭祀形態を復元する上で貴重な資料になると考えられます。
一方、ヤナイタ1号墳・2号墳は、大規模集落衰退後の纒向遺跡の姿を考える手掛りとなる資料と言えるでしょう。

ヤナイタ2号墳の埴輪出土状況の写真

ヤナイタ2号墳の埴輪出土状況

詳しくは発掘調査報告(220回~229回)ページの、発掘調査現場から(223回)ヤナイタ古墳群の調査をご覧ください。

発掘調査報告(220回~229回)

(3)珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)第5次【番号4】

【はじめに】
珠城山古墳群は大字穴師に所在する古墳群で、古墳時代後期に築造された前方後円墳3基で構成されます。昭和30年代の度重なる土砂採取に伴い3号墳は一部しか残存していませんが、その他に関しては地元の協力のもと保存され、1978年に国史跡に指定されています。
今回の調査は史跡整備に先立ち墳丘範囲を確認するために平成16年度から2ケ年連続で行われているもので、17年度は1・2号墳の墳丘範囲を確認することが目的でした。

【主な遺構】
1号墳のくびれ部と2号墳の西側の掘割を確認することができ(写真6)、1号墳からは、円筒埴輪の破片も出土しています。また、1号墳前方部の北側では、7世紀前半の土壙墓が見つかり、中からは須恵器の杯が伏せた状態で出土しました。

【まとめ】
珠城山古墳群は後世の撹乱が激しく墳丘規模を知るための良好な成果があげられない状態でしたが、上記のような埴輪の出土や土壙墓の発見は、築造当時の墳丘の様子やその後の周辺状況を復元していく中で貴重な成果と言えるでしょう。

 

2号墳前方部掘割の写真

2号墳前方部掘割
2号墳の掘割は3号墳築造時に埋められています。

詳しくは発掘調査報告(220回~229回)ページの発掘調査現場から(221回)、珠城山古墳群の調査をご覧ください。

発掘調査報告(220回~229回)

(4)城島遺跡(しきしまいせき)第39次【番号6】

【はじめに】
城島遺跡は三輪山の南側、現在の初瀬川南岸に広がる遺跡です。この一帯は古来より「シキシマ」と呼ばれ、欽明天皇の宮である磯城嶋金刺宮(しきしまかなさしのみや)や迹見(とみ)の驛家(うまや)の所在に関する伝承も残っているなど歴史的にも重要な地域と考えられています。

【主な遺構】
第39次となる今回は、古墳時代後期の柱穴・竪穴住居跡と古墳時代前期の遺物が多量に出土した溝を検出する事ができました。
このうち古墳時代後期の柱穴は約60基を数え、北東方向に主軸が傾く建物や柵列になると考えられます(写真7)。また同時に検出した小型の方形竪穴住居跡2棟も柱穴と軸が同じであった上、造付竃(つくりつけかまど)も北東側に作られている事が確認できました。

【まとめ】
これまでの周辺の調査の中で第7次の城島小学校建替えに伴う調査で見つかっている飛鳥時代の建物・柵列も北東方向に軸を持っています。時期は異なるものの、同じ方角を向く共通点がみられる事は、大変興味深い結果といえるでしょう。
調査地周辺は遺跡内でも比較的遺構密度が高いと推測され、今後同様の建物などの遺構が確認される可能性が高いと考えられます。

 

柱穴群の写真

柱穴群
規則的に並ぶ柱の跡がたくさん見つかりました。

詳しくは発掘調査報告(220回~229回)ページの発掘調査現場から(222回)、古墳時代後期の建物群をご覧ください。

発掘調査報告(220回~229回)

(5)大藤原京(だいふじわらきょう)関連遺跡第46次【番号7】

【はじめに】
かって藤原京は下ツ道・中ツ道・横大路・阿倍山田道に囲まれた範囲におさまると考えられていましたが、近年の調査成果により更に広い範囲に京域がおよんだことがわかりました。桜井市内でも既に大藤原京の条坊を数ケ所で確認しています。

【主な遺構】
今回の調査でも、大藤原京に関する遺構と古墳時代前期の遺構が確認できました。
大藤原京に関する遺構は、東九坊大路と井戸を検出しました。東九坊大路は側溝の心々間距離が約8.4メートル・側溝幅約1~1.2メートルで、須恵器杯蓋や平瓶・土師器片が出土しました。井戸については2トレンチで深さ約60センチメートル、5トレンチで探さ約2.5メートルのものを検出しましたが、どちらも木枠は残っていませんでした。埋土中から須恵器杯身や大甕の破片、土師器片が出土しています。
古墳時代前期の遺構は、東に隣接する上之庄(かみのしょう)遺跡第8次調査で検出した旧流路跡の延長が見つかりました。南東から北西方向に流れていたと考えられる旧流路の砂層からは古墳時代前期の土器片や加工木材が出土しています。

【まとめ】
今回の調査では大藤原京の条坊道路を検出する事ができましたが、道路に区画された内側については居住に関する遺構が少なく、建物跡は確認できませんでした。これまで周辺で行った調査でも建物跡の検出例はわずかで、京内の開発の進み具合には地域により大きな差があった事がうかがえます。

(6)安倍寺跡(あべでらあと)第19次【番号3】

【はじめに】
安倍寺は、古代豪族阿倍氏の氏寺として造営された古代寺院で、創建は7世紀中頃、廃絶は鎌倉時代と考えられています。昭和42年の調査では、中心建物である塔や金堂、回廊などの伽藍配置が確認されており、昭和45年に国史跡に指定されました。
その後、寺域の西限も石垣状の遺構を発見したことにより確定しましたが、未だ不明な点が多く残されています。今回の調査地は安倍寺の推定寺域の南東隅付近にあたっていたため、寺域の南限となる遺構を検出することを主な目的として、調査対象地の南と北に各1ケ所の調査区を設けて実施しました。

【主な遺構】
北区では、調査区の西端で約1.5メートルの幅で南北に延びる浅い溝を検出しています。この中には多量の平瓦・丸瓦が集積していました。南区では、調査区北半で柱穴2基、南端で東西方向に延びる幅1.4メートル・探さ約10センチメートルの浅い溝状の落ち込みが見られました。特に柱穴は東西に並ぶため柵列の可能性があります。また、調査区南半を中心に平瓦や丸瓦などが散在していました。

【まとめ】
部分的な調査ということもあり、今回の成果から寺域の南限や東限を確定することはできませんでしたが、南区で検出した柵列と思われる柱穴などは南限を考える上で興味深い成果で、今後の周辺の調査成果が期待されます。

お問い合わせ先
桜井市教育委員会事務局 文化財課
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FAX:0744-42-1366