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平成21年度速報展

『平成20年度発掘調査速報展』

平成21年6月10日~10月4日 桜井市立埋蔵文化財センター -夏季企画展 『50センチメートル下の桜井』解説書 より抜粋- 2009年6月

1.はじめに

桜井市立埋蔵文化財センターでは、市民の皆様に文化財に対する深い理解と親しみを得ていただくために、遺跡・遺物等の公開と展示に取り組んでいます。
今回は平成20年度に行なわれた市内遺跡の発掘調査の成果を紹介する展示を企画しました。
昨年度は纒向遺跡の柵に囲まれた建物群、弥生時代の木甲が出土した大福遺跡、渡来系集団との関連がみられる風呂坊古墳群などテレビや新聞で話題となった遺跡が多くありました。
それらをはじめ、ここに紹介する成果は、桜井市の歴史を読み解く上で貴重な資料となります。そのため、皆様にもこの展示を通じて桜井の文化財へ興味・関心をもっていただき、その保護にご協力下されば幸いです。では、最新の調査成果を是非ご覧ください。

平成20年度発掘調査一覧

  1. 風呂坊古墳群第4次 (調査期間):平成20年4月2日~6月19日 (調査面積):224平方メートル
  2. 上之庄遺跡第11次 (調査期間):平成20年5月7日~6月11日 (調査面積):330平方メートル
  3. 谷遺跡第25次 (調査期間):平成20年5月14日~6月17日 (調査面積):129平方メートル
  4. 纒向遺跡第157次(箸墓古墳周辺 第18次) (調査期間):平成20年5月22日~7月2日 (調査面積):112.5平方メートル
  5. 大福遺跡第28次 (調査期間):平成20年7月2日~平成21年3月31日 (調査面積):1244平方メートル
  6. 大福池遺跡第10次 (調査期間):平成20年7月2日~7月4日 (調査面積):30平方メートル
  7. 大藤原京関連遺跡第52次 (調査期間):平成20年7月16日~8月8日 (調査面積):164平方メートル
  8. 纒向遺跡第158次 (調査期間):平成20年7月16日~8月29日 (調査面積):70平方メートル
  9. 茅原大墓古墳第2次 (調査期間):平成20年9月5日~10月22日 (調査面積):44平方メートル
  10. 纒向遺跡第159次(東田大塚古墳 第6次) (調査期間):平成20年11月10日~平成21年2月13日 (調査面積):84平方メートル
  11. 纒向遺跡第160次(矢塚古墳 第4次) (調査期間):平成20年11月17日~平成21年2月28日 (調査面積):191.5平方メートル
  12. 多武峰城塞跡念誦崛地区第1次 (調査期間):平成20年12月1日~12月2日 (調査面積):7.5平方メートル
  13. 横大路遺跡第3次 (調査期間):平成20年12月12日~12月26日 (調査面積):80平方メートル
  14. 大福池遺跡第11次 (調査期間):平成21年1月14日~2月9日 (調査面積):140平方メートル
  15. 纒向遺跡第162次 (調査期間):平成21年2月2日~3月30日 (調査面積):384.5平方メートル
  16. 横内遺跡第6次 (調査期間):平成21年2月26日~3月6日 (調査面積):60平方メートル

広報「わかざくら」~発掘調査現場から~ を参照

2.平成20年度の調査

風呂坊(ふろぼう)古墳群 第4次調査 〔NO.1〕

風呂坊古墳群は、桜井市街地の南側に位置する安倍山(あべやま)丘陵の南端尾根上に立地する古墳群です。平成20年度に行なわれた第4次調査では、尾根頂部の風呂坊4号墳とその北側約15メートルに位置する風呂坊5号墳の存在が明らかとなりました。
それぞれの墳丘は全長15~20メートル程度の円墳と推定されますが、ほとんど盛土は残存していません。埋葬施設は右片袖(みぎかたそで)式の横穴式石室で、4号墳は南、5号墳は南南東に開口しています。

4号墳は後世の石材抜き取りによって、原形を留めていませんが、墓壙の形態などから石室の全長が約5.5メートルであることを確認できます。一部の遺物は原位置を保った状態で残っており、鉄釘の出土状況から東西に2基の木棺が配置されていたことが窺えます。西棺内からは耳環が出土し、棺外の奥壁側に馬具類、東側壁側に土器類が置かれていました。

5号墳も上部石材が抜き取られていますが、下半部及び床面は撹乱・盗掘を免れ、玄室床面はほぼ完全な状態で発見されました。
2基の木棺を東西に並置し、西棺からは装着状態と考えられる銀製品・金銅製品(耳環(じかん)、釵子(かんざし)、指輪、釧(くしろ))と玉類が出土しました。東棺からは金銅製品(釵子?)のみでしたが、棺外の玄室北東隅には金銅製馬具類と土器類が副葬されていました。
石室は全長6.3メートル、玄室幅2.1メートル、高さ約1.4メートルまでが残っており、羨道外側には地山を掘り込む長さ約1.2メートルの墓道、玄門部より1.3メートル南側には閉塞石が残存していました。

4・5号墳は出土遺物から渡来系(とらいけい)集団との関連性が窺え、6世紀前半~中頃の時期に位置付けられます。風呂坊古墳群では、これまでにも金銅製品や銀製品などが出土しており、この辺り一帯は6世紀を通じて継続的に渡来系集団の墓域が広がっていたと推測されます。
さらに桜井市南部には、6世紀代の歴代大王の宮が営まれたとされており、古墳時代当時の政権中枢と風呂坊古墳群の被葬者との関連性が注目されます。

風呂坊4号墳の写真

風呂坊4号墳

風呂坊5号墳

風呂坊5号墳

風呂坊5号墳横穴式石室平面・立面図の写真

風呂坊5号墳 横穴式石室平面・立面図

風呂坊古墳群全景の写真

風呂坊古墳群全景

詳しくは発掘調査報告(230回~239回)ページの発掘調査現場から(237回)風呂坊古墳群の発掘調査をご覧ください。

発掘調査報告(230回~239回)

大福(だいふく)遺跡 第28次調査 〔NO.5〕

大福遺跡は弥生時代後期の集落遺跡として知られています。第28次調査では、弥生時代中期中葉と後期後半の2つの時期の遺構が見つかりました。弥生時代中期中葉(紀元前1世紀中頃)の遺構は、可能性があるものを含めて5基以上の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)を新たに確認しました。

今回の調査区の北側に位置する第26次調査でも6基以上の方形周溝墓を検出しており、合わせて10基以上を確認できたことになります。さらに墓域は東西両側に広がっており、多くの墓が集中することが予想されます。築造時期や立地などを考慮すると、ここから西へ200メートル程に位置する坪井(つぼい)・大福(だいふく)遺跡に居住していた人々の墓域と考えられます。

弥生時代後期後半(2世紀後半)になると、墓域としての機能は失われ、幅3メートルを超えるような大溝や井戸などがつくられて、居住域としての機能を持つようになります。大溝にはコンテナケース400箱以上の土器や木製品が棄てられており、全国的にも出土例の珍しい木甲(木製のよろい)もここから出土しました。
木甲はほぼ全面に紐孔が存在し、今まで発見されている例の中で最も残存状態が良好なものですが、表面に彫刻や漆・顔料などを塗った痕跡はありません。
戦闘で用いられた形跡も見られないことや武具類も楯が2点出土している以外に見られないこと、農具(鋤(すき)・鍬(くわ)・木庖丁(きぼうちょう)・竪杵(たてきね)・横杵(よこきね)など)・容器類(槽(そう)・籠(かご)など)など日常生活に関わるものの出土が大半であることから、儀式などで使用された可能性が考えられます。

さらに溝の中ほどからは炭化米(穂首刈(ほくびが)りを行なった状態のままの穂つき籾)が多量に出土しています。また、送風管(そうふうかん)や青銅塊(せいどうかい)、銅滓(どうさい)などの青銅器鋳造関連(せいどうきちゅうぞうかんれん)遺物も出土しており、今まで不明であった当地域での弥生時代後期後半の集落の様相の一端が明らかとなってきました。
大福遺跡は坪井・大福遺跡の集団が古墳時代へと転換していく過程で集団を再編成し、環濠から外へ進出していった人々の集落であることがわかってきました。

大溝土器出土状況の写真

大溝土器出土状況

トレンチ全景の写真

トレンチ全景

木甲の写真

木甲写真

木甲復元図の画像

木甲復元図

詳しくは発掘調査報告(240回~249回)ページの発掘調査現場から(242回)大福遺跡第28次調査~銅鐸片の発見~をご覧ください。

発掘調査報告(240回~249回)

現地説明会(大福遺跡:平成21年3月8日)

大福遺跡は平成18年度から3年間、継続して発掘調査を実施してきました。最終年度となる第28次調査では木甲や炭化米、多量の木製品などが発見され、新聞やテレビなど報道を賑わせました。
市民の方々へ理解と関心を深めて戴きたく現地説明会を開催し、会場に集まったのべ800人以上の参加者は、午前10時と午後3時に行なわれた説明を熱心に聞き入っていました。
説明会には木製品をはじめ、青銅器鋳造関連遺物や大溝・方形周溝墓の土器など3年間の調査成果も公開されました。

大福遺跡現地説明会の写真1

大福遺跡現地説明会の写真1

纒向遺跡 第158次調査 〔NO.8〕

纒向遺跡は巻向川(まきむくがわ)によって形成された扇状地(せんじょうち)上に展開する集落遺跡(2世紀末~3世紀後半)です。この地域は東から流れ込む旧河道によって、4つの微高地に分断されており、北から草川(くさかわ)、太田北(おおたきた)、太田(おおた)、箸中(はしなか)微高地と呼ばれています。

今回の調査地は太田微高地上に位置し、これまでに行なわれた調査で祭祀土坑や多数のピット群が検出されるなど、纒向遺跡内でも遺構密度の高い状況が確認されている地域です。第158次調査は木製仮面が出土した第149次調査地のすぐ西側で実施したもので、今回も多数の遺構・遺物を検出しました。

井戸1は丸太を刳り抜いた井戸枠をもつもので、布留1式期(3世紀後半)に位置付けられます。井戸は長径約2メートル、短径約1.2メートルの楕円形の堀り方をもち、その中に13枚の板材が添えられて設置されています。その枠内からは残存率の高い小型丸底壷(こがたまるぞこつぼ)や甕などの土器や籠も1点出土しています。庄内式期(3世紀前半)には調査区の南側中央から北西方向に走る幅30センチメートル程の溝2条が平行して存在することが確認されました。

また、調査区南東部からは多量の完形土器を含む径約1.5メートルの土坑が見つかり、調査区全体に広がるピット群は約70基存在しています。ピットの多くは径30センチメートル前後のものでしたが、柱痕の残るものも僅かながら確認されました。
その中でも特に径50センチメートルを測る6基については、庄内式期の溝と同様に南東から北西方向に並び、対となる同規模のピットが確認できなかったことから、柵列(さくれつ)になるものと考えられます。これらは庄内式~布留式期の時期に位置付けられます。
その他のピットも建物跡となる並びは確認できませんでしたが、柵列と同様に南東から北西もしくは北東から南西を主体とした軸方位が窺えるなど、この地域に規格・整備された集落の様相を窺うことができます。

井戸枠内遺物出土状況の写真

井戸枠内遺物出土状況

井戸1の写真

井戸1

調査区全景の写真

調査区全景

纒向遺跡 第157次調査(箸墓古墳周辺第18次) 〔NO.4〕

箸墓古墳は最古級の大型前方後円墳として著名な古墳ですが、墳丘の大部分は宮内庁の管理により立ち入ることができません。しかし、古墳の周辺を発掘調査することで、周堤(しゅうてい)(中堤)や内濠の存在、後円部南東の渡り堤などが確認され、周辺の状況や築造の時期などが次第に明らかになりつつあります。一方、外濠の存在や全体的な形状に関しては、未だ不明な点が多い状況です。

今回、箸墓古墳前方部南西側で調査を行なったところ、深さ1.3メートル以上の大きな落ち込みの一部を検出しました。その落ち込みは箸墓古墳の前方部に向かって広がっており、出土土器は布留式期古相(3世紀後半)に限定されることがわかりました。
また、落ち込みの最下層には、周辺の調査で確認されている周濠下層と同様に腐植土(ふしょくど)(滞水した場合に形成される層)が堆積しており、従来から確認されている周濠に関連するものと考えられます。
古墳との位置関係からすると、前方部前面の周濠状遺構の外肩にあたり、これまでの調査のものと併せると、前方部前面に幅60~70メートル程度の大規模な掘り込みがあったことが推定できます。

外濠状遺構推定ラインの画像

外濠状遺構推定ライン

調査区と箸墓古墳前方部の写真

調査区と箸墓古墳前方部

詳しくは発掘調査報告(230回~239回)ページの発掘調査現場から(236回)箸墓古墳周辺の調査(纒向遺跡第157次調査)をご覧ください。

発掘調査報告(230回~239回)

纒向遺跡 第159次調査(東田大塚(ひがいだおおつか)古墳第6次)〔NO.10〕

纒向遺跡の西端に近い平地部に立地する東田大塚古墳は、これまでの調査や現状の地形から径約68メートルに復元される後円部をもち、幅20メートル程度の周濠状遺構が巡る前方後円墳であることが明らかとなっています。

今回の調査は形状が不明であった前方部の前面と南側面の確認を目的として行なわれました。それぞれの調査区で墳端位置を検出することができ、今回と昨年度までの調査成果によって前方部の全容がようやくわかってきました。これにより、墳丘形態は前方部が50メートル前後と比較的長いことが明らかとなり、全長約120メートルと考えることが可能となりました。

また、墳丘築造時期は周濠状遺構と下層遺構の遺物の関係から布留0式期(3世紀後半)に位置付けられ、東田大塚古墳は箸墓古墳と前後する時期に築造された墳墓として、纒向遺跡の大型墳墓と定型化した前方後円墳とを対比する上で重要な資料となります。

東田大塚古墳と調査区の写真

東田大塚古墳と調査区

詳しくは発掘調査報告(240回~249回)ページの発掘調査現場から(240回)東田大塚古墳第6次調査をご覧ください。

発掘調査報告(240回~249回)

纒向遺跡 第160次調査(矢塚(やづか)古墳第4次) 〔NO.11〕

纒向古墳群の一つである矢塚古墳は、東田大塚古墳から250メートルほど北に位置し、全長3:後円部径2:前方部長1の比率となる「纒向型前方後円墳(まきむくがたぜんぽうこうえんふん)」の規格をもつ墳墓として知られています。
過去3回の調査によって、前方部を盛土のみで構築する全長96メートル前後の墳丘をもつことが確認されており、築造時期は幅約20メートルの周濠内から出土した遺物より庄内3式期(3世紀中頃)に位置付けられています。

第160次調査は後円部北・南側、前方部北側の墳丘端と周濠規模を確認するために、墳丘の南北に調査区を設定しました。
後円部北側では墳丘と周濠の外肩を検出し、幅約17メートルの周濠が巡ることが明らかとなりました。一方、後円部南側は調査区内で外肩を検出できなかったため、さらに南側の道路もしくは水路下まで広がることが予想されます。

また、別の南側調査区では周濠掘削後、その周濠内に厚さ約1メートルのブロック層を盛土した遺構が見つかりました。この盛土は東西15メートル以上にわたって広がっており、周辺の調査区との高低差を考慮すると墳丘から周濠の外肩まで繋がっていると推測されます。
さらに、前方部は後円部と比べて自然地形が低くなっていることや明確な周濠外肩の段差は存在しないことから、当時から自然地形を生かして周濠を構築せず、周辺には低湿地状の地形が広がる状態であった可能性が考えられます。

 

盛土遺構断面の写真

盛土遺構断面

矢塚古墳と調査区の写真

矢塚古墳と調査区

纒向遺跡 第162次調査 〔NO.15〕

纒向遺跡第162次調査は、昭和53年の調査(第20次調査)で検出された柵に囲まれた建物(SB-101)などを再確認するとともに、それらの遺構群の広がりを調査する目的で実施されました。
調査地は南北に旧河道が流れる太田北微高地上に位置します。すぐ西側には祭祀土坑が集中して存在することから、纒向遺跡内でも特別な地域と考えられてきました。

調査区は南北に傾斜する微高地上に位置しており、その地形に合わせて、南側では縄文時代後・晩期に形成された灰褐色砂礫層が堆積し、北側では整地土を厚く盛ることで平坦な土地をつくっています。
この整地土内からは庄内式期古相(3世紀前半)の土器が出土しており、下層遺構は主にこの時期に構築されます。以前の調査で確認された建物もこの遺構面から検出されています。また、これらの遺構は庄内3式期(3世紀中頃)の溝に壊されることから、この時期に廃絶するものと考えられます。

建物SB-101は当初、全面を柱列が囲むものと想定していましたが、今回の調査で柱列は東側には巡らず、南北へ伸びていくことがわかりました。そのため、建物の周囲を取り巻く柱列は、南北に直線的に伸びる柱列のライン(柱列B-F)に対して、西側へ張り出すような構造(柱列C~E)になります。
さらに柱列Aの存在によって、南北へ伸びる柱列が調査区内で直角に方向を変えて、更に東側へ伸びていくという複雑な構造が確認されました。SB-101が南北軸の中心に位置すると仮定して柱列の展開を想定すると、柱列で囲まれる範囲の南北長は約26メートルとなります。

また、東側では南北2間以上(柱列G)、東西1間以上の柱列が検出され、新たな建物の存在が考えられます。その他、改めて20次調査成果を再検討したところ、SB-101の西側約10.5メートルの位置に他の柱列と軸線を揃えた柱列の存在も明らかとなり、東西に3棟の建物と柵などが強い規格性のもとに構築されている様子が窺えます。

これらの建物群は、周辺よりも2メートル程高い微高地上を大規模な整地によってつくられた広い土地に配置され、柵の内外に建物が存在するように、機能・性格によって区画されていたと考えられます。
古墳時代前期初頭において、このように複雑かつ整然とした規格に基づいて構築された建物群の存在は全国的にも珍しいもので、これらの遺構群が纒向遺跡の中でも何らかの特別な施設の一部となる可能性があります。今後は更に周辺地区の調査を推進し、その構造や性格を明らかにしていきたいと考えています。

建物SB-101と柵の写真

建物SB-101と柵

遺構配置図の画像

遺構配置図

西から調査地を望んだ写真

西から調査地を望む

詳しくは発掘調査報告(240回~249回)ページの発掘調査現場から(241回)纒向遺跡第162次調査をご覧ください。

発掘調査報告(240回~249回)

現地説明会(纒向遺跡:平成21年3月22日)

纒向遺跡第162次調査の現地説明会は午前9時半から午後4時まで開催され、午前と午後に4度ずつ現場の説明が行なわれました。
各マスメディアで「邪馬台国」や「卑弥呼」との関連が報道されたこともあって、のべ2500人以上の参加者が集まり、大勢の考古学ファンの方々が纒向遺跡への期待と関心を抱いていました。
今回の調査は纒向遺跡の史跡指定を目指したもので、今後も遺跡の保存整備に向けて調査を進めていきたいと思います。

纒向遺跡現地説明会の写真1

纒向遺跡現地説明会の写真2

多武峰(とうのみね)城塞跡(じょうさいあと)念誦崛(ねずき)地区 第1次調査 〔NO.12〕

多武峰城塞跡念誦崛地区の調査は増賀上人(そうがしょうにん)墓の方形基壇部及び周囲を囲む石柵の補修に先立って行なわれた発掘調査です。
増賀上人墓は平安時代中期の高僧である増賀上人を埋葬したとされるもので、妙楽寺(みょうらくじ)(現 談山神社(たんざんじんじゃ))の末寺のひとつ紫蓋寺(しがいじ)跡に所在しています。

現存する増賀上人墓は方形二重石壇上に二重石積円形塚が築かれ、塚の頂上には「慶長七年(1602)」銘が印刻された五輪塔地輪(ごりんとうちりん)が置かれています。
石積みは江戸時代中期以降の石割技法による石材を使用していることが窺え、さらに17世紀の『増賀上人行業記絵巻(そうがしょうにんぎょうぎょうきえまき)』に見られる御堂のような建物に関わる礎石と思われる方形の平石が、方形石壇の四隅とその間に認められます。

また、方形石壇の鉢巻石据え付けのための布掘りの跡を東西北側で検出しました。遺物が少ないため、正確な時期は特定できませんが、石積みの石材と同様の技法を用いていることから、同時期のものである可能性があります。
しかし、石積み最下段は石材が異なり、頂部に設置された五輪塔の建立年も合致しないことから複数回にわたって補修や管理をしていたことがわかりました。

増賀上人墓の写真

上之庄(かみのしょう)遺跡 第11次調査 〔NO.2〕

上之庄遺跡は大藤原京復元条坊(だいふじわらきょうふくげんじょうぼう)の東端にあたる東十坊大路、古墳時代前期の玉造関連(たまつくりかんれん)遺構、縄文時代や弥生時代の遺物も出土する複合的な遺跡です。

調査地の周辺では寺川の氾濫によると考えられる河道が多数見つかっており、今回の調査でも最大幅10メートル前後の北東から南西へ流れる自然河道の一部が見つかりました。河川に堆積した砂層からは、6世紀後半~7世紀前半の土器とともに、流木や焦げた木、桃核、馬歯などが出土しています。
この河道は、南北を流れる河道を繋ぐものとして復元でき、7世紀前半に埋没します。また、6世紀末に埋没する河道も近くに存在することから、この時期に大規模な氾濫があったことが推測できます。

旧河道NR-01の写真

旧河道NR-01

詳しくは発掘調査報告(230回~239回)ページの発掘調査現場から(239回)上之庄遺跡第11次調査をご覧ください。

発掘調査報告(230回~239回)

谷(たに)遺跡 第25次調査 〔NO.3〕

谷遺跡は南から伸びる丘陵北東端に位置し、6世紀の玉造り関連資料や7世紀末の大型掘立柱建物と柵などが見つかっている古墳時代から飛鳥時代にかけての主要な遺跡の一つです。

昨年度に行なわれた第23次調査では6世紀後半の竪穴住居や溝、柱穴群などの遺構が検出されており、第25次調査もそれらと関連する6世紀後半の竪穴住居2棟、溝、土坑など多数の遺構が確認されました。竪穴住居は重複関係が見られ、それぞれの住居に伴う周壁溝がほぼ並行に揃うことから建替えを行なったものと考えられます。
また、調査区の半分は旧谷地形が検出され、その埋土から鉄滓(てつさい)が比較的まとまって出土しました。今後、周辺に展開する集落の性格を考えていく上で注目される資料と言えます。

古墳時代後期の竪穴住居の写真

古墳時代後期の竪穴住居

茅原大墓(ちはらおおはか)古墳 第2次調査 〔NO.9〕

茅原大墓古墳第2次調査は史跡整備事業に先立って行なわれました。茅原大墓古墳は三輪山より西側へと派生する低丘陵上に立地しており、墳丘は径約70メートル、高さ約9メートルの後円部に、長さ15メートル、高さ1メートル程度の前方部が北側に配置された帆立貝(ほたてがい)形の前方後円墳です。
古墳の西側には周濠の痕跡と見られる池が存在し、その池や北側の地割りの状況から幅約15メートル前後の周濠が巡ることが推定されています。

今回の調査は前方部東側面に直交する方向にトレンチを設定し、墳丘端とそれに伴う葺石(ふきいし)を検出しました。葺石は人頭大の石材を中心に構成され、高さ約60センチメートル分が残存していました。
また、周濠底には基底石より2.2メートル東側までの範囲で、地山ブロックを多く含む土層を確認しています。これは墳丘構築時の整地によるものと考えられます。このことから、まず地山を削り出した墳丘の端部をやや深く掘削し、その部分に整地を行ない、その後に厚さ約50センチメートルの裏込め土とともに葺石を構築するという墳丘構築方法が想定できます。
築造時期は周濠下層から出土した円筒埴輪(えんとうはにわ)などから古墳時代中期初頭(4世紀末頃)に位置づけられます。本古墳は今後計画的に発掘調査を実施し、その成果に基づく史跡整備を進めていく必要があります。

整地土断面の写真

整地土断面

前方部葺石の写真

前方部葺石

詳しくは発掘調査報告(230回~239回)ページの発掘調査現場から(238回)茅原大墓古墳第2次調査をご覧ください。

発掘調査報告(230回~239回)

お問い合わせ先
桜井市教育委員会事務局 文化財課
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