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平成24年度速報展

『平成23年度発掘調査速報展18』

平成24年4月25日~9月30日 桜井市立埋蔵文化財センター
-夏季企画展 『50センチメートル下の桜井』解説書 より抜粋- 2012年6月

~発掘調査報告会のお知らせ~
日時:平成24年7月21日(土曜日)13時30分~15時30分
場所:桜井市立埋蔵文化財センター 2階 多目的室
内容:

  • 「談山神社・妙楽寺跡 第1次調査」
  • 「吉備池遺跡 第15次発掘調査」
  • 「茅原大墓古墳 第5次発掘調査」

註釈:聴講には入館料が必要です。

はじめに
桜井市内には纒向遺跡をはじめ、文化遺産が数多くあります。当センターでは、市民の皆様にそれらの文化財に深い理解と親しみを持っていただくため、発掘調査された遺跡の写真や遺物の展示・公開に取り組んでいます。
今回の展示は、平成23年度に実施した市内遺跡の調査成果を紹介しています。談山神社境内で初めて調査が行われたり、茅原大墓古墳で渡土堤(わたりどてい)が発見されるなど、大きな成果が得られました。
これらの調査成果を通じて桜井市の歴史を知り、身近にある文化財に親しみを感じていただければ幸いです。桜井の最新の調査成果を是非ご覧ください。

平成23年度発掘調査一覧

  1. 纒向遺跡 第171次 (調査期間):23年5月31日~23年6月9日 (調査面積):36平方メートル
  2. 談山神社・妙楽寺跡 第1次 (調査期間):23年6月8日~23年7月6日 (調査面積):4平方メートル
  3. 大藤原京関連遺跡 第56次 (調査期間):23年7月21日~23年7月28日 (調査面積):50平方メートル
  4. 纒向遺跡 第172次 (調査期間):23年8月5日~23年9月7日 (調査面積):44平方メートル
  5. 大藤原京関連遺跡 第57次 (調査期間):23年9月22日~23年10月25日 (調査面積):160平方メートル
  6. 茅原大墓古墳 第5次 (調査期間):23年11月9日~24年3月27日 (調査面積):100平方メートル
  7. 長谷寺 第3次 (調査期間):23年11月14日~23年11月21日 (調査面積):31平方メートル
  8. 吉備池遺跡 第14次 (調査期間):23年11月15日~23年11月28日 (調査面積):60平方メートル
  9. 纒向遺跡 第173次 (調査期間):23年12月5日~24年3月26日 (調査面積):375平方メートル
  10. 城島遺跡 第44次 (調査期間):23年12月26日~24年1月5日 (調査面積):32平方メートル
  11. 吉備池遺跡 第15次 (調査期間):24年1月16日~24年2月28日 (調査面積):127.5平方メートル
  12. 大藤原京関連遺跡 第58次 (調査期間):24年1月16日~24年1月25日 (調査面積):60平方メートル
  13. 大藤原京関連遺跡 第59次 (調査期間):24年2月21日~24年3月12日 (調査面積):60平方メートル

広報「わかざくら」~発掘調査現場から~ を参照

平成23年度の発掘調査

談山神社(たんざんじんじゃ)・妙楽寺(みょうらくじ)跡 〔NO.2〕

談山神社は、桜井市の南にある御破裂山(おはれつやま)の山腹に鎮座(ちんざ)しています。『多武峯(とうのみね)縁起』によれば、乙巳(いっし)の変(645年)の準備の際に中大兄皇子と藤原鎌足が談合した場所とされ、「談山」の由来になっています。

調査は、談山神社本殿の床下で行われました。床下は石敷きになっており、第二次世界大戦中にこれを剥がして防空壕が掘られました。神像の退避用でしたが、終戦後も埋められることはありませんでした。
防空壕掘削の時には、漆箱に納められた状態で鏡や銅製筒形容器、密教法具である五鈷杵(ごこしょ)などが見つかっており、埋められた時期は室町時代と考えられます。この防空壕は、本殿建物に影響を与える可能性があると考えられたため、埋め戻す必要があり、今回の確認調査が行なわれました。

防空壕は一辺2メートル程度の正方形で、約1.8メートルまで掘り下げられており、そこに板材を釘で連結した木箱が置かれていました。この木箱の蓋は床下に安置してありました。
木箱を取り除いた後、防空壕内の再堆積土と床下に掘り上げられていた土を細かく調査したところ、青銅製の輪宝(りんぽう)2点、灰釉盒子(かいゆうごうす)と蓋(ふた)、土師器皿、瓦片、銅製釘、銅製玉、ガラス玉などが出土しました。
輪宝は密教法具に使われる車輪状の仏具で、江戸時代のものと考えられます。時期は異なりますが、五鈷杵と輪宝は地鎮具(じちんぐ)として用いられることが多く、これらは本殿の地鎮具であった可能性が考えられます。

また今回の調査では、新しい整地土層から古代のものと考えられる瓦片が見つかりました。この瓦片は、考古学的に多武峰が古代に遡るということを示す資料となる可能性があります。

談山神社本殿の写真

防空壕掘削時の出土遺物の写真

防空壕掘削時の出土遺物

今回の調査の出土遺物の写真

今回の調査の出土遺物

詳しくは発掘調査報告(250回~256回)ページの発掘調査現場から(252回)談山神社妙楽寺跡第1次調査をご覧ください。

発掘調査報告(250回~259回)

茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん) 第5次調査 〔NO.6〕

茅原大墓古墳は、古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)に築造されたと考えられる古墳で、昭和57年に国史跡に指定されています。墳丘(ふんきゅう)は後円部に対して前方部の規模が小さい「帆立貝式(ほたてがいしき)古墳」と呼ばれる形です。これまでの調査では後円部頂や2段目平坦面の埴輪列(はにわれつ)、墳丘端の斜面の茸石(ふきいし)が確認されています。また東側のくびれ部では、盾持人埴輪(たてもちびとはにわ)が出土しています。

第5次調査では、計3ケ所に調査区を設定しました。その結果、東西2段目くびれ部や斜面の下の平坦面(1段目平坦面)における埴輪列、前方部の北東隅の位置が確認されたほか、北東隅のすぐ西側で、墳丘と周濠(しゅうごう)の外側とをつなぐ渡土堤(わたりどてい)が確認されました。さらに1段目平坦面では、墳丘上に並べられた埴輪を転用して作られた埋葬施設が2基見つかっています。
渡土堤の規模は長さ・幅ともに約7メートル、残存高は0.8メートルで、茸石が両側に葺かれていました。この渡土堤は、周濠内の水位の調整や墳丘上への通路といった役割を持つものと考えられます。

今回の調査によって古墳の墳丘主軸を確定でき、墳丘も後円部3段・前方部2段築成であることが明確となりました。
さらに初めて確認された1段目の埴輪列は、埴輪配列の復元を考えるのに大きな成果となりました。

茅原大墓古墳の写真

茅原大墓古墳 墳丘推定復元図の画像

茅原大墓古墳 墳丘推定復元図

詳しくは発掘調査報告(250回~256回)ページの発掘調査現場から(255回)茅原大墓古墳の渡土堤をご覧ください。

発掘調査報告(250回~259回)

現地説明会を同時開催!平成24年2月18日(土曜日)

平成24年2月18日(土曜日)に同時に開催された国史跡茅原大墓古墳と纒向遺跡の現地説明会は茅原大墓古墳に約700人、纒向遺跡に約900人という多くの人が見学に訪れました。
当日は吹雪という悪天候にもかかわらず、熱心に2つの遺跡を見学する人も大勢いました。今後も調査を進めていき、纒向遺跡や茅原大墓古墳の全体像を解き明かして行きたいと思います。

纒向遺跡の様子の写真

纒向遺跡の様子

茅原大墓古墳の様子の写真

茅原大墓古墳の様子

長谷寺(はせでら) 第3次調査 〔NO.7〕

長谷寺は、真言宗豊山(ぶざん)派の総本山(そうほんざん)として全国各地に三千以上の末寺(まつじ)を有する寺院です。この寺の創建については諸説ありますが、清少納言の『枕草子』にも登場する由緒ある寺で、地元では「長谷の観音さん」として親しまれています。

今回は、本願院の建て替えに伴う事前調査として行われました。調査区西側で検出された斜面は、幅10センチメートル程度のテラス面と礫、そしてこれに沿った溝を持ち、石垣が作られていたことが確認できました。また詳しい時期は不明ですが、トレンチ中央部で2間×3間の建物跡や柱列、それらと切りあう瓦管暗渠(かわらかんあんきょ)も発見され、少なくとも建物跡は三度以上建替えられていることがわかりました。

一方江戸期に描かれた絵図には、調査地周辺に2棟の建物が描かれており、今回の建物跡がこの絵図にある瓦茸き建物か、あるいは天文二年(1533年)に再建された建物の可能性が考えられます。

さらに西側の丘陵裾部では、建物跡よりも古い時期と考えられる3基墓の墓壙(ぼこう)や、中世の五輪塔(ごりんとう)の部材も3個体以上発見されました。
墓壙の中には、骨蔵器(こつぞうき)として使用されたと考えられる瀬戸焼の四耳壷(しじこ)が埋納されていたものもありましたが、これらは石垣を作る際に破壊されていたようです。また建物が作られる以前に、小規模ながらも鋳造が行われていた跡も確認されました。
今回の調査では、長谷寺創建にかかわる遺構や遺物の出土はありませんでしたが、本願院の過去の様子がわかる貴重な機会を得ることができました。

長谷寺第3次発掘調査の写真

瓦管暗渠検出状況の写真

瓦管暗渠検出状況(北から)

瀬戸焼四耳壷出土状況の写真

瀬戸焼四耳壷出土状況

詳しくは発掘調査報告(250回~256回)ページの発掘調査現場から(254回)長谷寺第3次発掘調査をご覧ください。

発掘調査報告(250回~259回)

纒向遺跡(まきむくいせき) 第171~173次調査 〔NO.1、4、9〕

桜井市北部に位置する纒向遺跡は、古墳時代前期の大規模な集落遺跡として全国的に有名な遺跡です。
遺跡は纒向川と西門(さいもん)川によって形成された扇状地上に立地し、東西2キロメートル、南北1キロメートルの範囲におよびます。この地域に東から流れ込む旧河道が見つかっており、それらの河川が5つの微高地を形成しています。これらは北から草川(くさかわ)、巻野内(まきのうち)、太田北(おおたきた)、太田(おおた)、箸中(はしなか)微高地と呼ばれています。
これまで170次を超える調査が行われ、中軸線をそろえた4棟の建物跡や大量の桃の種が見つかった祭祀土坑(さいしどこう)など重要な遺構や遺物が多数確認されています。平成23年度は纒向遺跡で計3回の調査が行われました。

第171次調査は巻野内微高地上で行われました。トレンチの大半が撹乱により削平されており、楕円形のピットを2基確認したのみで、出土土器は細片のため時期を特定できませんでした。

第172次調査は、勝山古墳の南側で行われ、5世紀の溝や3~4世紀の溝と土坑が検出されました。5世紀の溝は、調査区の東側と西側で2条検出され、埴輪片が出土することから、古墳の周濠である可能性が考えられます。
この溝の下層では土師器の甑(こしき)や壷、木製鋤(すき)が、中層では埴輪片と建築部材が出土しています。3~4世紀の溝と土坑から出土した土器は甕(かめ)が中心で、高杯(たかつき)などはほとんどありませんでした。

第173次調査は太田北微高地上に位置し、大型の祭祀土坑が検出された第168次調査の南側で行われました。今回の調査では東西溝、南北溝、方形の落ち込み、土坑3基、ビット群などを確認しました。
東西溝は幅約60センチメートルの溝で、後世の削平を受けているため深さが15センチメートル程度しか残っていませんでした。
3世紀中頃~後半の土器が出土しているので、この頃に埋まったと考えられます。南北溝は幅が約8メートルで4世紀中頃~後半に埋まったと考えられ、平成21年度の第166次調査、平成22年度の第168次調査で検出されたものと合わせると長さ54メートル以上になります。
3基の土坑は第168次調査で検出した大型の祭祀土坑とほとんど同じ時期(3世紀中頃~後半)に埋まったものと考えられます。この中からは、尾張(おわり)や近江(おうみ)地域の土器の特徴を持った外来系(がいらいけい)土器が出土しています。

勝山古墳の南側の写真

発掘調査報告(250回~256回)ページの発掘調査現場から(253回)纒向遺跡第172次調査をご覧ください。

発掘調査報告(250回~259回)

吉備池廃寺(きびいけはいじ) 第15次調査 〔NO.11〕

吉備池廃寺は、7世紀に建立された寺院で、東に金堂、西に塔が並びそれらを回廊で取り囲む法隆寺式伽藍配置をとることが知られています。寺域は東西230メートル、南北280メートル以上と推定され、同時代の寺院と比べて突出した規模を誇ります。

このように大規模な伽藍(がらん)をもつ吉備池廃寺は、舒明(じょめい)十一年(639年)に建立が始まった日本最初の勅願寺(ちょくがんじ)である百済大寺(くだらのおおでら)に比定されており、平成14年3月に国指定史跡に指定されています。

今回の調査は回廊の南側で行われ、南北溝及び東西溝、柱穴などを見つけることができました。そのうち、南北溝は幅60センチメートル、深さ40センチメートルで、回廊の中心軸を南側に延長した場所で検出され、さらに途中で西側に向かってL字状に曲がることがわかりました。出土遺物から吉備池廃寺に関する遺構だと考えられ、回廊南側の寺域の様子をうかがえる成果となりました。

また、その溝から出土した素弁蓮華文(そべんれんげもん)軒丸瓦は、これまで吉備池廃寺では発見されていない型式の軒丸瓦で、法隆寺若草伽藍や四天王寺で使用されたものと同じものだと思われます。吉備池廃寺建立の際に、どういった経緯でこの文様の瓦が用いられたのか興味が持たれます。

吉備池廃寺 回廊の写真

軒丸瓦・平瓦出土状況の写真

軒丸瓦・平瓦出土状況

素弁蓮華文軒丸瓦の写真

素弁蓮華文軒丸瓦

大藤原京(だいふじわらきょう)関連遺跡 第59次 〔NO.13〕

藤原京は、持統(じとう)八年(694年)に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)から遷都され、日本ではじめて「条坊制(じょうぼうせい)」という土地区画を取り入れた都城跡です。
当初、京域は中ツ道(なかつみち)と下ツ道(しもつみち)を東西限、横大路(よこおおじ)と阿倍山田(あべやまだ)道を南北限として、東西4里(約2.1キロメートル)・南北6里(約3.2キロメートル)の京域と考えられていましたが、近年の発掘調査の成果によってより広大な10里(約5.3キロメートル)四方の大藤原京と考える復元案が有力視されています。

第59次調査はこの大藤原京の東八坊坊間路(ひがしはちぼうぼうかんろ)推定位置で行われました。道路推定位置上の2ケ所を調査したところ、南側の調査区で南北に延びる幅約1.2メートルの溝が見つかりました。
この溝からは7世紀後半~末頃と考えられる土器が出土していることなどから、東八坊坊間路の東側溝であることがわかりました。土器以外にも獣骨や桃の種が出土していることから、周辺で何か祭祀が行われたのかもしれません。

大藤原京の東八坊坊間路(ひがしはちぼうぼうかんろ)推定位置の写真

大藤原京条坊復元図の画像

大藤原京条坊復元図

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