現在の位置

発掘調査報告(230回~239回)

発掘調査現場から(239回)

広報「わかざくら」 平成21年3月掲載

上之庄遺跡第11次調査

上之庄遺跡は大型店舗をはじめ、国道169号バイパスや中和幹線道路などの開発に伴って、発掘調査を行なってきました。これまでの調査による大きな成果としては、大藤原京復元条坊の東端にあたる東十坊大路と古墳時代前期の玉造関連遺構の発見があります。また、縄文時代や弥生時代の遺物も出土しており、様々な時代の様子を窺える複合的な遺跡と言えます。

 

今回の調査では、最大幅10メートル前後の北東から南西へ流れる自然河道の一部が見つかりました。この河道の北岸は、石や砂によって削られた円形の凹みがある急な傾斜面をもち、流れの速いものであったことがわかります。また、河川に堆積した砂層からは、6世紀後半~7世紀前半の土器とともに、流木や焦げた木、桃核、馬歯などが出土しています。さらにこの自然河道の北側には、河道に沿って杭列が打たれており、護岸関連のものである可能性が考えられます。

 

調査地の周辺では寺川の氾濫によると考えられる河道が多数見つかっており、今回検出した河道はこれまでに確認されていた河道を繋ぐものとして復元できます。また、7世紀前半に埋まってしまうことや、6世紀末に埋没する河道が近くに存在することから、この時期に大規模な氾濫があったことも推測できます。

 

発掘調査は華やかな遺跡や遺物にばかり目がいってしまいますが、今回の河道のように古環境を復元していくことも発掘調査の重要な役割の一つです。つまり、一見して遺構や遺物が出土していない現場であっても、その事実こそが成果であり、発掘調査からは常に何らかの新しい情報を発見することができるのです。
《写真》自然河道(南から)

自然河道の写真

発掘調査現場から(238回)

広報「わかざくら」 平成21年1月掲載

茅原大墓(ちはらおおはか)古墳第2次調査

三輪山麓の大字茅原に位置する茅原大墓古墳は、帆立貝形の前方後円墳の一例として知られており、昭和57年に国史跡に指定されています。墳丘は現在でもよく残存しており、直径約70メートル、高さ約9メートルに推定される後円部の北側には、長さ約15メートル、高さ約1メートルの小規模な前方部を観察することができます。埋葬施設の内容はわかっていませんが、過去の調査成果から墳丘上に埴輪(はにわ)が巡らされていたと考えることができます。また墳丘の西側には、周濠(しゅうごう)の痕跡と考えられる池が存在します。

 

9月~10月に墳丘の東側で実施した第2次調査では、前方部東側に施された葺石(ふきいし)が確認されました。高さ約60センチメートル分が残存しており、約40度の傾斜をもつ墳丘斜面に沿って構築されていました。使用される石は30センチメートル前後の大きさで、付近の河原などから運ばれたものと考えられます。また葺石の周辺からは、円筒埴輪(えんとうはにわ)片が出土しています。

 

古墳が築造された時期は、出土した埴輪から古墳時代中期初頭(4世紀末頃)と考えられます。茅原大墓古墳は桜井市域を代表する中期古墳であり、その被葬者は当時の三輪山麓における有力首長であったと考えられます。

《写真》前方部東側の葺石

前方部東側の葺石の写真

発掘調査現場から(237回)

広報「わかざくら」 平成20年11月掲載

風呂坊古墳群の発掘調査

風呂坊古墳群は市街地の南側、大字谷から阿部にまたがる安倍山丘陵の南端に位置しています。昭和30年代に3基の横穴式石室が発見され、古墳群の存在が明らかになりました。これに加え、今年の4月から6月に実施した第4次調査でも横穴式石室を持つ2基の古墳が確認されました。

 

尾根の最も高い位置にある4号墳は、後世に大きく削られ、石室の石材の大部分が抜き取られていました。しかし床面付近では木棺に使われた鉄釘が多数出土し、轡などの馬具や土器類、ミニチュアの竈形土製品が見つかっています。

 

4号墳の北側で確認された5号墳では、石室の天井石は失われていましたが、それより下の部分は未盗掘の状態にあり、副葬品が埋葬当時の位置で検出されました。鉄釘の配置から2つの木棺が納められたと考えられ、棺内では金銅製釵子や銀製の釧(腕輪)・指輪、玉類などの装身具が見つかり、棺外には金銅製の轡や鞍金具などの馬具、土器類が副葬されていました。

 

これらの古墳は出土遺物から6世紀前半~中頃のものと考えられます。いずれも径20メートル以下の円墳と見られ、石室全長は6メートル前後で、当時の古墳としては大きなものとは言えません。しかし出土遺物の中には特殊なものが多く、竈形土製品や釵子、銀製の装飾品など、渡来系氏族の墓とされる古墳で特徴的に見られる遺物が含まれています。

 

風呂坊古墳群が位置する市南部一帯は、古代に「磐余」と呼ばれ、5~6世紀代に大王の宮が置かれた地域とされています。風呂坊古墳群の被葬者は、当時の政権に仕えた渡来系氏族の一員であったのではないかと推定されます。

風呂坊古墳群の写真

発掘調査現場から(236回)

広報「わかざくら」 平成20年9月掲載

箸墓古墳周辺の調査(纒向遺跡第157次調査)

大字箸中にある箸墓古墳は、最古級の大形前方後円墳で、全国的にも著名で多くの考古学ファンが訪れる古墳です。墳丘部は宮内庁の管理により立ち入ることができませんが、古墳の周辺を桜井市などが発掘調査を行い、築造時の周辺の状況などが徐々に明らかになってきています。

 

今回、前方部の南西側で発掘調査を行ったところ、前方部に向かって広がる大きな落込み(深さ1.3メートル以上)の一部を検出することができ、出土した土器などから箸墓古墳の築造時期と近い時期(3世紀後半頃)であると考えられました。落込みの最下層は腐植土(滞水した場合に形成される層)であったことから、「周濠」の可能性があります。「周濠」であれば、前方部付近では幅約60メートルと大規模なものを復元することができます。

 

巨大な古墳を造る場合、周辺を掘り下げ、その土を盛って墳丘を築造し、その土取りの後を整備し周濠を造ります。墳丘だけでなく、周濠も併せて威容を誇示したものと思われます。このことは古墳が新しくなるにつれて顕著になり、より整備された周濠を備えます。初期の大形前方後円墳である箸墓古墳の周辺がどのように整備されていたのか、古墳の成立ちを考える上で重要で、今回の調査はその意味でも大きな成果であったといえます。今後の調査を通してさらに明らかにしていく必要があります。

箸墓古墳周辺の写真

発掘調査現場から(235回)

広報「わかざくら」 平成20年7月掲載

矢塚古墳の範囲確認調査

纒向遺跡第154次(矢塚古墳第3次)調査は、矢塚古墳の範囲確認を目的とした発掘調査です。
今回の調査地は主に矢塚古墳の前方部周辺で、その北・西側に4か所トレンチを設定しました。また後円部南側の周濠(しゅうごう)を確認するため1か所トレンチを設けて調査しました。

 

その結果、1トレンチでは前方部北西隅となる墳丘を、2トレンチでは前方部前面の墳丘盛土が確認できました。
この1・2トレンチの結果から現存する前方部の長さは約28メートルとなり、古墳の全長は約93メートル以上となる事がわかりました。
また1・5トレンチで検出した前方部北側裾から、前方部の幅が今残っている水田の畦(あぜ)から推定される位置より約3.5メートル北に広がる事もわかりました。
この他1・5トレンチの前方部北側で周濠を確認しました。ただし周濠北側の外側は今回の調査範囲の中では検出できなかったため、周濠の平面形は依然として不明のままとなっています。

 

遺物は、周濠から若干の古式土師器が出土しています。昨年と同様に庄内(しょうない)形甕(かめ)はあるものの布留(ふる)形甕が見られないため、今のところ時期については第1次調査で周濠から出土した土器群の庄内3式期より新しくはならないと考えられます。

 

今回の調査の成果から推定される矢塚古墳の全長と前方部前面側から検出した周濠外側の地山の位置、削平を受けている可能性があるものの確認した前方部墳丘との距離から前方部墳丘の本来の長さを考えると、最も古いタイプの前方後円墳である纒向型前方後円墳の規格である全長・後円部径・前方部長が3対2対1の比率を持つ可能性が高い事も確認されました。
なお、今回も昨年と同様に範囲確認調査につきましては、地権者の皆さんの多大なるご協力を得て実施する事ができました。ご協力に感謝いたします。

矢塚古墳の空撮写真

発掘調査現場から(234回)

広報「わかざくら」 平成20年5月掲載

東田大塚(ひがいだおおつか)古墳の範囲確認調査

桜井市北部の大字東田に位置する東田大塚古墳は、古墳出現期(3世紀代)の前方後円墳として知られています。墳丘は後世の開発により大きく改変されており、現在では本来の墳丘の姿を見ることはできません。
市教育委員会では、この東田大塚古墳の墳丘形態を確認することを目的として、平成18年度より範囲確認調査を継続して実施しています。
平成19年度には、墳丘規模を確認することを目的として、墳丘の西側部分で調査を実施しました。その結果、墳丘の端は検出できませんでしたが、墳丘の盛土の広がりを確認することができました。これにより、前方部が従来考えられていたよりも長いものであることが明らかとなりました。墳丘の全長は120メートル前後であると考えられます。
古墳出現期の前方後円墳のなかには、前方部が極端に短いものが多く見られます。これらは「纒向型前方後円墳」と呼ばれ、東田大塚古墳もその一例と考えられてきました。
しかし今回の調査により、前方部が比較的長いものであることが確認され、「纒向型前方後円墳」とは異なる墳丘形態を持つことがわかりました。
出現期の前方後円墳におけるこうした墳丘形態の違いがどのような意味を持つのか、今後検討していく必要があります。
《写真》 東田大塚古墳墳丘(奥)と調査区(手前)

東田大塚古墳墳丘と調査区の写真

発掘調査現場から(233回)

広報「わかざくら」 平成20年3月掲載

珠城山古墳群の出土遺物の紹介

市立埋蔵文化財センターでは、常設展示の一部で月ごとにテーマを変えたミニ展示をおこなっています。今回は大字穴師(あなし)にある珠城山(たまきやま)古墳群の出土遺物を展示しています。

 

珠城山古墳群は6世紀代に築造された前方後円墳3基からなる古墳群で国史跡に指定されています。過去に5度の調査を実施しており、そのうち昭和30年代の第1・2次調査は1・3号墳の横穴式石室の内部で行なわれ、多くの副葬品が出土しました。当時の調査は県によっておこなわれ、出土遺物は奈良国立博物館に収蔵されています。今回はそれらの遺物を借りて展示しています。

 

これらの遺物の中でも、3号墳から出土した馬具の鏡板(かがみいた)(轡(くつわ)の一部)と杏葉(ぎょうよう)(馬を装飾するもの)は特筆すべきものです。
両方とも鉄地金銅張(てつじこんどうば)りの台板に透彫(すかしぼ)りの文様板を重ねたもので、鏡板には忍冬唐草(にんとうからくさ)文(写真1)、杏葉には左右に向かい合う鳳凰(ほうおう)の文様(写真2)が施されています。両方とも繊細な彫金を施しており、技術の精巧さがうかがえます。
このようなタイプの馬具は県内では斑鳩町の藤ノ木(ふじのき)古墳から出土した例がみられるだけで珍しいものです。
その他、三葉環頭大刀(さんようかんとうたち)や土器など多くの遺物を展示していますので、是非ご覧ください。(3月7日(金曜日)まで)

馬具の名称画像

鏡板(かがみいた)の写真1

(写真1)

鏡板(かがみいた)の写真2

(写真2)

発掘調査現場から(232回)

広報「わかざくら」 平成20年1月掲載

丘陵上に掘られた3条の壕(ほり)

大字谷の桜井公園が所在する丘陵では、これまで南北朝(なんぼくちょう)・戦国時代の山城である「安倍山城(あべやまじょう)」の他、渡来系のものを含む多くの後期古墳や市内では数少ない前期古墳である双築(なみつき)古墳、弥生時代後期の溝など、時代を問わず多くの遺跡が確認されています。
今回の桜井公園遺跡群第6次調査では、弥生時代後期前半の環壕(かんごう)と考えられる溝を3条検出しました。
3条の溝は斜面に沿って低い順から標高約108メートル・111メートル・114メートルに位置し、約8~10メートル間隔で断面U字形やV字形に掘削されていました。溝からは多量の土器が出土しましたが、上位ほどその量が増え、最も上では土器で溝が埋め尽くされていました。

 

桜井公園の弥生時代後期の集落は、かつて盆地内に存在した弥生時代後期の主要な集落や交通の要となる初瀬川や寺川を一望できる高所に位置しています。これは盆地全体を望む要所を選択しながら、防御性も考慮したためと考えられます。今回検出した3条の環壕は防御性を補うものであり、盆地内に広がっていたであろう緊張感を伺わせます。

《写真》最上位の環壕と多量に出土した土器

最上位の環壕と多量に出土した土器の写真

発掘調査現場から(231回)

広報「わかざくら」 平成19年11月掲載

纒向遺跡の木製仮面

古墳時代前期の大規模集落遺跡として知られる纒向遺跡の第149次調査において、国内最古の事例となる木製の仮面が出土しました。
仮面は長さ約26センチメートル、幅約21.5センチメートルで、アカガシ亜属製の鍬を転用して作られています。口は鍬の柄を装着する穴をそのまま利用していますが、目は転用時に穿孔されたと考えられます。鼻は高く削り残して鼻孔の表現も見られ、眉毛は線刻によって表現されており、その周辺にはわずかに赤色顔料が付着していました。
全体に平坦な形態であり、顔に装着するためのひもを通す孔なども見られません。しかしその大きさから考えると、実際に顔につけて使用されたものと考えられます。
この仮面は、木製の盾や鎌の柄など、多くの木製品とともに3世紀前半頃の井戸から出土しました。農具である鍬を転用している点から、他の木製品とともに農耕に関連する祭祀の場で使われたものと推定されます。当時の祭祀の形態を示す貴重な資料ということができるでしょう。
なおこの木製仮面は、12月2日まで市立埋蔵文化財センターで展示しています。

《写真》纒向遺跡出土の木製仮面

纒向遺跡出土の木製仮面

発掘調査現場から(230回)

広報「わかざくら」 平成19年9月掲載

矢塚(やづか)古墳(纒向遺跡第148次)の発掘調査

この調査は、纒向遺跡内に所在する纒向古墳群の一つである矢塚古墳の墳形(ふんけい)確認を目的として行った調査です。
昭和46年に行われた現在の纒向小学校建設に伴う矢塚古墳第1次調査では、墳丘の一部と幅約20メートル前後の周濠(しゅうごう)が確認され、周濠内からは庄内(しょうない)3式期と考えられる、ほぼ完形品の土器群が出土しています。

 

今回の調査を行うにあたっては、前方後円墳と考えられる矢塚古墳の推定前方部南側に調査区を設定しました。その結果、前方部となる墳丘(ふんきゅう)盛土や周濠を検出する事ができました。
前方部墳丘は、黒色系のシルト~粘土と黄灰~黄褐色系の細粒砂~シルトの、厚さ約1.5~1.7メートルを測るブロック層で構成されていました。また盛土は墳丘端に土手を造った後、中央から墳丘端に向かって斜めに盛られた事がわかりました。

 

周濠については、墳丘裾から調査区南端までの幅約8メートル分が確認されました。ただし周濠外側の立ち上がりは調査区内では未検出なため、残念ながら周濠の幅・形ともに今回の調査では確定する事はできませんでした。なお周濠の堆積層からは土器片が若干出土していますが、庄内形甕(しょうないがたがめ)があり布留形甕(ふるがたがめ)が見られない事などから、第1次調査で出土した庄内3式期の土器群と時期的には齟齬(そご)がないと考えられます。

 

今回の調査では、これまで水田畦の推定だけで考古学的には未確認であった前方部を確認する事ができました。また墳丘盛土については、予想よりも残存状況が良好であった事が明らかになりました。しかし古墳の全長や周濠の規模、墳形など今回だけではわからない点が多く、今後の資料の蓄積が待たれます。

《写真》 調査区全景(南より)

矢塚(やづか)古墳の調査区全景写真

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