現在の位置

倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし

manyoukahi_10

歌碑番号(パンフレットさくらい)

No.10

地区

山の辺・纒向エリア

巻名

古事記

書き下し文

倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし

歌の解釈

大和は国の最も素晴らしいところ。どこまでも続く青垣。

山に籠っている大和はうるわしい。

歌人

倭建命

揮毫者

川端 康成

歌碑ものがたり(その1)

(広報『わかざくら』平成10年8月15日号掲載)

  • 「川端康成」先生書のもの二基

山の辺の道へ多くの人が来始めた昭和四十三年頃の歴史委員会(観光協会)で、増田商工観光課長から、ここを歩く小中学生らに万葉歌を覚えてもらいたいので十二首ほど選んでほしいと発言があった。
彼はこれらの歌一首ずつ、丸太材を削り、墨書して適当な場所を設定し建てておいた。それがいつの間にか、壊されたり引き抜かれたりしてしまったので、その後の委員会に報告して石にしようとなった。


その後、商工観光課長に代わってきた米田一郎氏から私に、当市の万葉歌を来週中に選んでおいてくださいと申し出があり、十日余りで全二十巻から百三十首を厳選して、万葉仮名と平かなまじりの訓読みを併記した『桜井万葉全』を作った。この小冊子を染筆依頼者に配布、好きな歌を書いてもらうことにした。
第一人者はノーベル賞文学者の川端康成先生ということで、保田與重郎先生からお願いしてもらった。


川端先生は万葉だけでなく記紀の歌も入れたらとの発案で、ご自分は古事記の日本武尊の歌「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 大和しうるはし」を書くといわれた。

そして建碑場所の下検分に昭和四十七年一月二十一日昼すぎにお出でになった。
桧原神社から散策しつつ井寺池の現地に立たれ、ここにしてほしいといって帰られた。

ところが、その四月に亡くなられ、約束の文字は書いてないというので、秀子夫人の許可を得て、ノーベル賞受賞式での記念講演原稿「美しき日本の私」から、日本武尊の歌の文字を集めて建碑した。(井寺池から大和三山を望む地に建立)

ペン字であるのが惜しい。


川端先生書の碑がもう一つ芝運動公園競技場東端、林ぎわにある。
「三輪山をしかも隠すか雲だにも こころあらなむ隠さふべしや」(昭和四十九年建立)
これは、万葉歌人額田王の長歌につづく反歌。この方は色紙に書いた筆跡も流麗なものだ。
この書こそ「世界の日本の文学の書」といえるもの。
変体仮名まじりであるが、眺めているだけで楽しくなる。
書も人なりというわけで、先生の文学に匹敵するような美しい文字といえよう。

歌人関連歌碑

倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし

揮毫者関連歌碑

三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや