国技相撲の発祥の地《カタヤケシの昭和顕彰》

更新日:2022年03月01日

昭和36年ごろ、桜井市と大三輪町との合併問題が話題になっていた。そのころ、中村元旦氏が文化事業を考え、しきりに京都の保田與重郎宅を訪ねて、指導を受けていた。

ある日、「纒向の”カタヤケシ”は国技発祥地「垂仁天皇7年(紀元前23)7月7日、この地で当麻の蹴速<けはや>と出雲の野見宿祢<のみのすくね>とが天覧相撲をとった。

この時以来、代々の朝廷では相撲を国の政<まつりごと>の一つとしてこられた。」だから、全国的に知られていない当地を顕彰して、日本相撲協会幕内全力士に参拝してもらっては」と、二人の意見が合った。当時、本市の体育協会長であった中村氏は、是非実現したいと熱をこめて話していた。

そこで保田氏は在京の友人三浦義一・尾崎士郎(横綱審議会委員)の両氏にこの主旨を伝え、相撲協会理事長(時津風)、並びに秀ノ山理事と話し合い、快諾を得てくだされ、その知らせが地元に届いた。時期は3月の大阪場所後と決められた。よって昭和37年初場所中の1月中旬すぎだったろうか、保田氏のお供をして池田大三輪町長・大浦桜井市長・中村氏が上京、三浦・尾崎両氏並びに、協会へ挨拶に回ったがその時、秋の大阪準場所後に延期となった。

当時9月は大阪準場所で、その千秋楽後、10月6日に旧桜井小学校庭に大型バスで両横綱以下幕内全力士が降り立った。桜井市長歓迎の辞あり、直ちに市内有志提供の車に分乗して大兵主神社に向かう。神前では、紋付姿の力士が勢揃いし、中宮司祝詞奉上、ついで時津風理事長が緋色の衣冠束帯の正装で祭文奏上、式後、「カタヤケシ」にて柏戸・大鵬両横綱が青天井の下土俵入りを行った。色付きかけた蜜柑山に10万の人出と翌日の新聞は報ず。

これが機縁となり翌昭和38年4月1日、大三輪町が当市に編入合併となった。

ところで保田氏が大三輪町刊の「国技発祥地の顕彰のために」との小冊子に「この地を日本第1相撲濫觴聖地とし、全日本の学童角力の中心道場として、また民族的憧憬の現場として、ゆくゆく全国大会を催したい」としるされていたことを思い出す。関係者各位がご健在ならいずれ実現したに違いない。志をつぐ人士のあらわれんことを念願してやまない。

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