茅原大墓古墳

更新日:2022年03月01日

所在地:奈良県桜井市大字茅原

墳丘形態:帆立貝形の前方後円墳(「帆立貝式古墳」)、後円部3段・前方部2段築成

墳丘規模:全長約86メートル、後円部径約71メートル

時期:古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)

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茅原大墓古墳と三輪山

茅原大墓古墳と三輪山

1.はじめに

 茅原大墓古墳は、奈良盆地東南部の三輪山麓に位置しています。茅原集落の北側に接して残存する墳丘は、後円部が現状で高さ9メートル前後を測り、その北側に高さ1~2メートルの低平な前方部が存在します。また墳丘の西側に見られる細長い池は、墳丘を取り囲む周濠の形を反映するものと考えられます。墳丘上では近年まで耕作が行われていたため、本来の古墳の形状は多少とも損なわれていると考えられますが、後円部に対して前方部の規模が著しく小さい「帆立貝式古墳」であることが現状でもよくわかります。昭和57年12月18日にはその典型的な事例として、国の史跡に指定されました。

 桜井市教育委員会では、茅原大墓古墳は地域の歴史を考える上で重要な歴史文化遺産であると認識しています。そこで、古墳の築造時期や全体像をより明らかにすることを目的として、平成20年度から24年度にかけて発掘調査を行い、以下のような成果を得ることができました。

茅原大墓古墳の墳丘

茅原大墓古墳の墳丘

2.古墳の形態

(1)墳丘の構造

 複数の箇所で墳丘端の位置を確認することができました。後円部径は約71メートル、全長は約86メートルに復元され、北側に前方部を持つ帆立貝形の前方後円墳であることが再認識されました。

  後円部には現在、耕作に伴って組み上げられた5段の石垣が見られますが、調査の結果、後円部は3段、前方部は2段に築成されていたことが明らかとなりました。墳丘の斜面には葺石が施されていましたが、その多くは後世に取りはずされ、石垣に転用されたと考えられます。周辺の地形環境を考慮すると、墳丘は自然地形を利用したものではなく、大部分が盛土により構築されていると考えられます。

 後円部の各段の平坦面では埴輪列が検出されました。前方部では検出できませんでしたが、流れ落ちた埴輪がその周囲より出土していることから、少なくとも1段目平坦面には存在した可能性が高いと考えられます。

茅原大墓古墳復元図

茅原大墓古墳復元図

西側くびれ部2段目の葺石

西側くびれ部2段目の葺石

後円部東側の墳丘端

後円部東側の墳丘端

後円部頂の埴輪列

後円部頂の埴輪列

後円部2段目の埴輪列

後円部2段目の埴輪列

(2)周濠と渡土堤

 周濠の平面形は主軸を挟んで非対称な形態であることが明らかとなっています。後円部の周囲で幅10~15メートル、前方部前面で幅7~10メートルの規模を持ち、前方部の北東端部分と北西端部分で渡土堤により区切られていました。このうち北西側のものは地山を削り残したものですが、北東側の渡土堤は幅約7メートル、長さ約7メートルの規模を持ち、盛土で構築され、両側面に葺石が施されていました。

前方部北東側の渡土堤

前方部北東側の渡土堤

(3)埋葬施設

 中心埋葬施設が後円部頂の平坦面の中央に存在することは疑いありませんが、発掘調査を実施していないため形態や内容は明らかになっていません。しかし地中物理探査を実施したところ、石材が使用されているような反応が明確に見られなかったことから、粘土槨など石をあまり使わない埋葬施設形態であると推定されます。

  このほか墳丘上において、埴輪を転用してつくられた埋葬施設である埴輪棺が計3基見つかっています。このうち前方部上面で確認された埴輪棺では、計14個体の円筒埴輪や壺形埴輪の大小の破片が使用されていました。棺外には鉄鏃などの鉄製品が副葬されており、古墳の築造後数十年を経てつくられたと考えられます。中心埋葬施設の被葬者と血縁関係をもつ人物が葬られたのではないかと推定されます。

前方部上面の埴輪棺

前方部上面の埴輪棺

前方部1段目の埴輪棺

前方部1段目の埴輪棺

3.出土遺物

(1)遺物の概要

 遺物の大半は埴輪類で占められ、円筒埴輪・壺形埴輪のほか、蓋形埴輪や鳥形埴輪、盾持人埴輪などの形象埴輪が確認されています。それ以外では墳丘盛土や周濠埋土中より出土した土器、埴輪棺に副葬された鉄製品、古墳時代以降の木棺墓に使用された鉄釘などが見られました。

(2)埴輪の概要

 円筒埴輪は、埴輪棺に転用された個体のなかに残存率の高いものが多く、大きいものでは7条突帯・8段構成で高さ104センチメートルを測る個体が存在しています。黒斑が観察されることから野焼き焼成であることがわかっており、2次調整でヨコハケが多用されますが、古墳時代中期に盛行する「B種ヨコハケ」は確認されていません。透孔は円形のものが多く、方形や三角形、半円形の透孔を持つ個体も存在しています。こうした円筒埴輪は古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)のものと考えられ、これにより茅原大墓古墳の築造時期も4世紀末頃と考えることができます。

円筒埴輪

円筒埴輪

(3)盾持人埴輪

 茅原大墓古墳で出土した埴輪のうち特に注目されるのが、墳丘東側のくびれ部より出土した盾持人埴輪です。盾持人埴輪は盾を持つ人物の姿をかたちどった埴輪であり、墳丘の周辺部で出土することが多く、古墳を外側の邪悪なものから守る役割を持つとされています。これまで全国で100例以上が見つかっており、その多くは関東地方の古墳から出土していますが、5世紀前半に遡る古い事例に限ると、近畿や九州など西日本でわずか数例が知られる程度でした。

  茅原大墓古墳の盾持人埴輪は、頭部から盾部上半にかけての高さ67.6センチメートル分と、径33.8センチメートルの円筒形の基部付近が残存していました。基部から体部は円筒形で、その前面の両側に厚さ1.8センチメートルほどの粘土板を貼り足して幅約47センチメートルの盾を表現し、さらに体部上端をドーム状にしてその上に頸部・頭部を接続するという全体形状をもちます。頭部には衝角付冑と思われる表現があり、顔面部は顎部分に粘土板を貼り足して全体に平坦な印象のつくりとなっています。目と口はくりぬかれ、鼻は残存していませんでしたが、立体的なものであったと考えられます。また顔面には線刻がみられ、赤い顔料が塗られていました。長方形の盾部分には、綾杉文による区画があり、その外側には鋸歯文、内側には菱形文が線刻により施されています。

  4世紀末頃の茅原大墓古墳で出土した本例は、現状で知られている盾持人埴輪の中で最も古く位置付けることができます。これにより6世紀後半まで続く盾持人埴輪が、4世紀末頃に登場していることが明らかとなりました。埴輪祭祀の変遷を考えるうえで貴重な資料であるということができるでしょう。

盾持人埴輪

盾持人埴輪

盾持人埴輪の頭部側面

盾持人埴輪の頭部側面

東側くびれ部と盾持人埴輪基部

東側くびれ部と盾持人埴輪基部

4.茅原大墓古墳の歴史的意義

 茅原大墓古墳が位置する奈良盆地東南部は、大型前方後円墳を含めた多数の古墳が築かれた地域であり、特に桜井市北部から天理市南部にかけての南北約5キロメートル、東西約2キロメートルの範囲は古墳の密集度が高く、全国屈指の大型古墳群であるということができます(大和・柳本・纒向古墳群)。その中には全長200メートル以上の巨大前方後円墳である箸墓古墳や渋谷向山古墳など、古墳時代前期の大王墓が計4基含まれており、この地域が古墳時代前期における政権中枢勢力の根拠地であったことを物語っています。

 古墳時代前期後半(4世紀中頃~後半)以降になると、大王墓が築造される地域は奈良盆地北部や大阪平野へと移り、奈良盆地東南部には巨大古墳が築造されなくなります。これは、政権内におけるこの地域の勢力の位置が低下したことに起因すると考えられます。こうした政治的変動を経たのちの奈良盆地東南部に築かれた、唯一といってもいい大型古墳が茅原大墓古墳です。後円部径約71メートルという規模は同時期のこの地域では最大であり、この段階における当地域の首長の墓であると考えられます。ただし、それ以前にこの地域に築かれた巨大古墳と比較すると見劣りする規模であることは事実であり、この地域の勢力衰退が古墳の規模に反映されていると考えられます。

 そうした勢力変動を示す要素として、もう一つ挙げられるのが帆立貝形の墳丘形態です。「帆立貝式古墳」は4世紀末頃に登場する新たな墳丘の形態で、最も格式の高い墳丘形態とされる前方後円墳よりやや劣る位置付けにあるとされます。4世紀末頃のこの地域のリーダーの墓が、通有の前方後円墳ではなく「帆立貝式古墳」であることは、墳丘規模の変化と同様、この地域の勢力衰退を反映していると考えられます。

 このように茅原大墓古墳は、単に一地域の首長墳であるというだけではなく、古墳時代の政権勢力の変動を体現しているという点において、歴史上重要な意義を持つ古墳であるということができます。いっぽうで、埴輪祭祀の変遷を考える上で重要な資料である最古の盾持人埴輪の存在もまた、この古墳の被葬者像を反映しているようにも思われます。人物の造形を持つ埴輪は、古墳時代中期の政権中枢勢力の根拠地である大阪平野を発信源として、やがて全国に波及していきます。いち早くそうした埴輪を採用した茅原大墓古墳の被葬者は、政権の首座から離れた旧勢力の系譜を引きながらも、あらたな中枢勢力との関係をしっかりと維持した人物だったのではないでしょうか。

大和・柳本・纒向古墳群

大和・柳本・纒向古墳群

5.さいごに

 5年度にわたる発掘調査を経て、茅原大墓古墳の全体像が明らかとなり、その歴史的な意義を検討できる段階に至ることができました。今後は茅原大墓古墳の歴史的意義やこの地域の特性を活かし、かつ将来にわたって遺構を保存していくことができるよう、桜井市として努力していきたいと考えます。

 最後になりましたが、発掘調査に際しまして地元茅原区の皆さまには様々なかたちでご協力をいただきました。ここに記して厚く御礼申し上げます。

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