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万葉歌碑-歌碑の紹介(5)

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No.5

あしひきの山川の瀬のなるなべに弓月が嶽に雲立ち渡る

  • 歌の解釈:山から流れ落ちてくる川の瀬の音が高くなりひびくにつれて、弓月嶽には一面に雲が立ち渡ってゆく。
  • 万葉集:巻7~1088
  • 所在:箸中車谷
  • 著者:柿本人磨
  • 筆者:鹿児島寿蔵

歌碑5の画像

歌碑ものがたり(その11) 

(広報『わかざくら』平成11年6月15日号掲載)

  • 「鹿児島寿蔵」書

人間国宝で歌人の鹿児島寿蔵先生は左記の歌を書いておられる。
「あしひきの山川の瀬の響(な)るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る」
この歌は万葉集巻七に「雲を詠む」と題した二首目に当たるもので、柿本人麿作である。


穴師川の浅瀬に波の音がひどくなり出したと同時に、弓月が嶽には雲が一帯にでてきたというのである。弓月が嶽は巻向山の頂上の一角で神聖な場所であった。
この歌について、島木赤彦が「詩句声調相待って活動窮まりなきの慨がある」と嘆じ、さらに「山川の湍(せ)が鳴って、弓月が嶽に雲の立ちわたる光景を『なへに』の一語で連ねて風神霊動の慨があり、一首の風韻自ら天地悠久の心に合するを覚えしめる」と二度までも激賞した。
以来有名になった歌である。


歌碑は通称「車谷」という穴師の東の道路、三叉路を約百メートル下った川沿いの道の北側に一段高く、巻向山の眺望によい位置を占めて建っている。
碑の側面には「万葉の故地に生まれしわれら古希を寿ぎここに柿本朝臣人麿歌集中の一碑を建つ」
昭和四十七年二月二十八日
桜井市 堀井甚一郎、牧野 英三曲
五條市 松本 義一、森下 正治刻 
と彫ってある。

 

鹿児島先生は明治三十一年(一八九八)福岡県博多市に生まれ、高等小学校卒業する頃、作歌を始めていた。ついで「アララギ」に入会、島木赤彦門として活躍選者ともなる。昭和二十年十二月「潮汐」を主宰。
歌人としては第二回迢空賞。宮中歌会始選者を再度拝命、歌集は二十冊に及ぶ。なかでも「人形随歌」の歌文集はこの人ならではのものである。

一方、大正七年、二十才の時、彫刻家を志し上京、岡田三郎助の洋画研究所に通いデッサンに励み、のち人形作家に転じた。そして和紙による紙塑人形という、世界中どこにも類例を見ない独特の造型を開拓した。


昭和三十六年重要無形文化財(紙塑人形)保持者、いわゆる人間国宝となる。
鹿児島先生は「歌即人形、人形即歌」すなわち人形と短歌は表裏一体の関係にあったといわれる稀有な作家というべき人であろう。

人形は特に神話、伝説に取材したものも多く「卑祢呼」「弟橘比売」など秀作が有名。昭和五十七年(一九八二)東京にて没す。八十四歳だった。

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