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万葉歌碑-歌碑の紹介(30)

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No.30

つぬさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ

  • 歌の解釈:夜は次第にふけてゆくのに、まだ磐余のあたりも越してはいない。こんなことでは、いつになったら泊瀬山を越すことができるだろう。
  • 万葉集:巻3~282
  • 所在:安倍文殊院、西古墳横
  • 著者:春日蔵首老
  • 筆者:朝永振一郎

歌碑30の画像

歌碑ものがたり(その4)

(広報『わかざくら』平成10年11月15日号掲載)

  • 物理学者「朝永振一郎」の書

ノーベル賞を受賞された朝永振一郎先生は、次の万葉歌を書いてくださった。


「つぬさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ」(巻3-282)


「つぬさはふ(つのさはふ)」は枕詞。磐余はわが国の最も古い地名で、当市中心から南西の大半を占める地域。

藤原京はすぐ西方である。まだ磐余のむらさえも通らない。泊瀬山はいつこえるのだろうか。夜はだんだんとふけてゆくばかりだ、というのである。

作者は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)。


この歌について歌人土屋文明は、あるいは初瀬の方にある女の許へ通うような時の作であるかも知れぬ。タクシーを拾うわけにゆかぬ焦燥が、このなげきになったと見るべきであろうとしるした。(『万葉集私注』)


また、この歌に近い心情をうたった歌で万葉集巻十一に「泊瀬の斎槻(ゆづき)が下にわが隠せる妻 あかねさし照れる月夜に人見てむかも」との旋頭歌(せどうか)がある。

斎槻は神聖な槻(つき)の木のことで、万葉集には「巻向の斎槻」とも「泊瀬の斎槻」ともうたった。
当時の役人が藤原の宮都で勤務後、九キロメートル程もある初瀬地方にいる恋人のところへ通う心情が、簡単にして的確に描写している。

それでいて、せつないほどの情緒のわく名歌ではなかろうか。


この歌碑はペン字書きで、原稿用紙の罫線そのままを拡大して碑にした。

安倍文殊院の特別史蹟西古墳東脇に建っている。


朝永先生は昭和四十七年十一月四日の土舞台顕彰式典に特別来賓としてご夫妻で参列してくださった。
式後「飛鳥」を見学したいとおっしゃたので、私がご案内して夕方初瀬の宿までお送りした。翌日の歌碑除幕式にも出席くださったと思う。

後日「先般御地訪問のせつはいろいろ有難う存じました。おかげ様で飛鳥路の見学は私たちにとって大変よい勉強になり、またその美しい風景もより印象深いものになりました。厚くお礼申し上げます。…」と先生から礼状が届いた。
もう一度ゆっくり来たいとのご希望だったが、その折なく数年して惜しくも御他界になってしまった。

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