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万葉歌碑-歌碑の紹介(1)

山の辺の道コース

万葉歌碑-歌碑一覧(山の辺の道コース)

万葉歌碑マップ(山の辺の道コース)

No.1

うま酒三輪の山青丹よし奈良の山の山のまにい隠るまで道のくまいさかるまでに つばらにも見つつ行かむをしばしばも見さけむ山を心なく雲の隠さふべしや

  • 歌の解釈:長歌 なつかしい三輪山よ。この山が奈良の山々の間に隠れてしまうまで、また行く道の曲がり角が幾つも幾つも後ろに積もり重なるまで、充分に眺めていきたい山であるものを、たびたび振り返っても見たい山であるものを、無情にもあんなに雲が隠してしまっていいものだろうか。
  • 万葉集:巻1~17
  • 所在:穴師(景行天皇陵東南)
  • 著者:額田王
  • 筆者:中河 與一

No.1-2

(反歌)三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなむかくさふべしや

  • 歌の解釈:反歌 名残惜しい三輪山をどうして雲があんなに隠すのか。人はともかく、せめて雲だけでもやさしい情があってほしい。あんなに隠すべきであろうか。
  • 万葉集:巻1~18
  • 所在:穴師(景行天皇陵東南)
  • 著者:額田王
  • 筆者:中河 與一

歌碑1の画像

歌碑ものがたり(その8)

(広報『わかざくら』平成11年3月15日号掲載)
作家中河與一先生は次の長歌と反歌をお書きくださった。


「うま酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の間に いかくるまで 道のくま いさかるまでに つばらにも 見つついかむも しばしばも 見さけむ山を 心なく 雪のかくさふべしや」(巻1-17)

反歌
「三輪山をしかもかくすかくもだにも心あらなむかくさふべしや」(同-18)


歌碑は当市内北端、景行天皇陵を斜め左に望みうる三叉路の地に建っている。

飛鳥から大津へ遷都の天智天皇一行が、飛鳥路から毎日見はるかしていた三輪山とも永の別れかと、惜別の情一入なる思いで詠まれた歌だ。

作者は額田王。

磐余路をへて、山ノ辺の道筋を行き来する者には、どこにいても、紡錘状のうるわしい姿が、自然と目につく。

この路線一帯の景観は、わが国随一の「まほろば」の地だ。このあたりは点としてでなく面として子々孫々に残したい。
しかし、われわれは万葉人の山河自然にいだいた、かかる親愛の情絶大なる思いを、どれほど今感じることができるであろうか。


ところで、この歌の碑が市内に3か所建っている。

もう一つは狭井川を北へ渡った神武天皇聖蹟碑の東側、道の傍らに2メートル大のものだ。これは万葉仮名(漢字)の碑で、千田憲先生書。

あと一つは桜井市西中学校の校門を入った右手に建つ。この方は反歌のみの平仮名まじりのもの。保田與重郎先生書。

 

中河與一先生は、明治三十年(一八九七)東京都生まれ、本籍は香川県坂出市。

早稲田大学英文科中退。早くから横光利一、川端康成、今東光の諸先生らと新感覚派の作家として活躍されていた。
「天の夕顔」は戦前ベストセラーとなって、外国語にも訳され欧米でも有名だった。 

昭和十二年の「愛恋無限」は第一回北村透谷賞、同十四年同人誌「文芸世紀」を創刊、「日本浪曼派」とも親しくされていた。
戦後、「失業の庭」とか「深美の夜」といった良い中篇ものを創作なさったが、平成六年(一九九四)九十七歳で他界された。

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