現在の位置

万葉歌碑-歌碑の紹介(32)

磐余(いわれ)の道コース

万葉歌碑-歌碑一覧(磐余(いわれ)の道コース)

万葉歌碑マップ(多武の道コース・磐余(いわれ)の道コース)

No.32

ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみみてや雲がくりなむ

  • 歌の解釈:大津皇子が処刑される時に、磐余の池の堤で涙を流してお作りになった歌 磐余の池で、ああ鴨が鳴いた。じっと見ると、物陰に鴨はいる。ぽっつりと浮かんで。これを見納めとして、私は死んでいかねばならぬのか。貴い天皇の子である私が。
  • 万葉集:巻3~416
  • 所在:吉備池畔
  • 著者:大津皇子
  • 筆者:中河幹子

歌碑32の画像

歌碑ものがたり(その22) 

(広報『わかざくら』平成12年8月15日号掲載)

  • 大津皇子のみうた

吉備池北西の堤に次の歌碑が建っている。

 

大津皇子のみうた
「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」 幹子書


これは万葉集巻三、挽歌の部第二首目の歌、すなわち416番歌だ。

大津皇子が死罪と決められた時、磐余の池の堤で、泣く泣く作られた御歌との詞書ある作である。
歌意は、これまでは、たびたび磐余の池に来て遊んだが、その池の鴨も、今日で見納めだ。これを限りとして、自分は死んで行くことであろう、というのだ。(『口訳万葉集』)。


大津皇子は天武天皇第三皇子で、母は天智天皇の女、大田皇女である。

皇子は幼にして聡明、天智天皇深く愛し給い、皇女山辺女王を以てめあわせ給うた。

文武共に秀れておられ、詩賦の盛んなるこの皇子より興ると『日本書紀』にしるす。

ところが父、天武天皇崩御ののち、謀反を計ったとして捕えられ、翌日死を賜る。

時に年二十四歳。『万葉集』に短歌四首『懐風藻』に漢詩四首記載されている。


『萬葉集古義』(鹿持雅澄著)ではこの歌について、枕詞の「百伝ふ」は本居宣長氏『つぬさはふ』を写し誤まれるものなり、凡て磐余の枕詞は万葉集全体をみると「つぬさはふ」で、「ももづたふ」は一首もあらずという。

そして、「このみ歌ただ打出給へるまゝながら、いとあはれにかなしく、身にしみて聞ゆるは、薨(こう)じ給ひなむとせる、まことの御心よりのたまへる故なるべし」としるし、「今も誦(よ)み見るごとに、流るる涙は留めぞかねつる」と結んでいる。


歌碑染筆の中河幹子先生は明治二十八年(一八九五)香川県坂出市生れ、津田英語塾卒業、その頃歌誌『ごぎょう』創刊、主宰。

のち『をだまき』と改名。多くの歌人を育てられた。

昭和五十八年(一九八〇)没。

当特別シリーズ歌碑ものがたり(その八)の染筆者中河與一先生の夫人である。

合同除幕式には御夫妻でご出席下さった。
ちなみに鎌倉時代後期という大津皇子の木彫像の小さな作品が薬師寺にあることを付記しておく。

お問い合わせ先
桜井市役所 まちづくり部 観光まちづくり課
〒633-8585 桜井市大字粟殿432-1
電話:0744-42-9111(内線342・348)
FAX:0744-46-1782
メールフォームによるお問い合わせ