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万葉歌碑-歌碑の紹介(33)

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No.33

現身の人なる吾れや明日よりは二上山を弟背と吾が見む

  • 歌の解釈:大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、大来皇女の哀しみ傷む歌 肉体を持つ人間である私は、弟が葬られた今、明日からはその墓のある二上山を弟として見ることになるのか。
  • 万葉集:巻2~165
  • 所在:吉備池西畔
  • 著者:大来皇女
  • 筆者:小倉遊亀

歌碑33の画像

歌碑ものがたり(その24) 

(広報『わかざくら』平成12年10月15日号掲載)

  • 大伯皇女の歌碑

吉備池堤に建つ大津皇子の碑(その22)から南へ約100メートル、ちょうど堤のなかほどに次の歌碑が建っている。


「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」遊亀書


万葉巻二に、大津皇子の亡骸を、葛城の二上山に移葬し奉った時、大伯皇女の御歌二首と詞書きのある第一首目の歌(165)である。
歌意は、肉体を持ったわたしは明日からは二上山を弟として見ねばならぬのだろうか、というのである。

歌碑から二上山は、はるか西真向かいに望みうる。周囲の眺めもすばらしい。

大伯皇女は「大来」とも書き、大津皇子と同母姉弟。

母の太田皇女が早く亡くなられたので、二人は特に親身に助け合っておられた。
父天武天皇が亡くなった直後、大津皇子はひそかに伊勢に赴き姉大伯に会った。

弟と別れた大伯は、ひとり帰すことを気遣った歌二首(163、164)。

また斎宮を退下して、後を追うように大和へ帰ってくると弟は既にこの世の人ではなかった。こんなことなら伊勢におればよかったのにと、哀切な歌二首(163、164)を詠む。

大伯皇女の弟大津を偲ぶ歌は都合六首載っている。皆あわれ深い名歌ばかりだ。

 

大津皇子が謀反の疑いをうけ捕われ、処刑されたあと、二上山に移葬されたので、大伯は二上山を仰ぎ弟を偲ばれていた(165、166)。
その後、大伯は天武天皇追福のための寺院を名張市に建立。表向きは父のため、実は弟を偲ぶ寺だった。

しかし十世紀末に焼失。

戦後昭和二十五年頃から伝承の地を発掘、金堂、講堂、塔跡が判明した。名張市文化財指定の夏見廃寺跡である。現地は近鉄名張駅から東へ5キロメートルのところで、夏見廃寺展示館もあり、往時をしのぶよすがとなっている。


ところで歌碑の染筆は日本画家の小倉遊亀先生。

小倉先生は明治二十八年(一八九五)滋賀県大津市生れ。奈良女高師(現奈良女子大学)卒業。

安田靫彦(ゆきひこ)画伯に師事。

昭和五十五年女性で三人目の文化勲章受章。昨年はパリで個展を開き、「衰えを知らない永遠の才能」と高く評価されたが、今年七月永眠された。一〇五歳。

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