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万葉歌碑-歌碑の紹介(39)

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No.39

久方の天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり

  • 歌の解釈:大空をわたる月を、鳥でも刺すように網でからめとり、大君はその月を蓋になさっている。
  • 万葉集:巻3~240
  • 所在:多武峰談山神社東門前
  • 著者:柿本人麿
  • 筆者:山岡荘八

歌碑39の画像

歌碑ものがたり(その17) 

(広報『わかざくら』平成12年3月15日号掲載)

  • 談山神社東門前の歌碑

談山神社旧参道にある東門入口向って右手に次の歌碑がある。


「久方の天ゆく月を網にさしわが大君は蓋(きぬがさ)にせり」(万葉巻3-240) 

作家 山岡荘八書


山岡先生は明治四〇年新潟県生れ、本名藤野庄蔵、野間文芸賞「徳川家康」「織田信長」「春の坂道」など。

長谷川伸賞、吉川英治文学賞等をも受く。昭和五十三年病没。全集四十六巻(講談社)。


右は長皇子が猟路(かりぢ)の池に遊す時に、柿本朝臣人麻呂作る歌并せて短歌との詞書のある長歌の反歌である。
歌意は、わが仕えまつる皇子のご威光は、盛んなものだ。

空を渡る月をば、網で通してお側の人に引かせながら、翳(さしば)にして網で通して入らっしゃるというのだ。(口訳万葉集)。

翳とは高松塚古墳壁画にみられるように、貴人外出の際、従者がさしかける長柄の団扇(うちわ)といったところ。
長皇子が鹿路へ鹿や鶉(うずら)狩りにおいでになり、獲物を得て宴会を催していらっしゃるうちに、下弦の月が空を渡りはじめた。

その月を網で捕らえて天蓋(てんがい)にしてお帰りだと、その威大さをお供をしていた人麻呂がたたえたのである。
「大君」とは天武朝頃、天皇ばかりでなく皇太子候補の皇子達すべてに称していた。

 

ちなみに長歌は次のような歌、


「やすみしし わが大君 高光る 我が日の御子の 馬並めて 御狩立たせる 若薦(わかこも)を 猟路の小野に いはひ廻(もとほ)れ」   
鹿じもの いはひ拝み 鶉なす いはひ廻り 畏みと 仕へまつりて ひさかたの 天見るごとく まそ鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも」 (同-239)


歌意、日の神の末であるわが仕え奉る皇子が、人々と馬を並べて、み狩を遊ばす、ここ猟路の野では、鹿は皇子の尊さに這(ほ)うて拝み奉り、鶉は這うたままうろうろしている。

我々もその鹿のように、這うては拝み、鶉のように、お仕え申し上げて、あたかも、天を見るように、仰ぎ見奉るけれども、何時も結構に拝されるわが仕える皇子の御立派さだ、という(『口訳万葉集』)。


長皇子は天武天皇第四子で弓削皇子と同母兄弟。母は天智天皇の娘、大江皇女である。

弟の弓削皇子が兄長皇子を皇太子におしたことがあったが実現しなかった。

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