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万葉歌碑-歌碑の紹介(43)

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No.43

ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上にたなびくまでに

  • 歌の解釈:夜霧が立っている、高屋の上に横に長くかかるほどに立っていることだ。
  • 万葉集:巻9~1706
  • 所在:高家
  • 著者:舎人皇子
  • 筆者:熊谷守一

歌碑43の画像

歌碑ものがたり(その26) 

(広報『わかざくら』平成12年12月15日号掲載)

  • 舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首

右の通りの詞書きのある万葉歌碑(巻9-1706)が上高家(たいえ)の多武峰への林道入口の民家門前に建っている。


「ぬばたまの夜霧ぞ立てる衣手(ころもで)の高屋(たかや)が上に棚引く迄に」 守一書

 

万葉仮名では「黒玉、夜霧立、衣手、高屋於、霏雨微麻手爾」とある。

守一画伯は『桜井市萬葉全』によってお書き下さった。この本は『萬葉集古義(こぎ)』(鹿持雅澄)の訓によった。
一首の『ぬばたま』は射干玉と書き、桧扇(ひおうぎ)の種子のことで、黒くて球状をなすもの。よって黒駒や黒髪夜等にかかる枕詞となった。

また、「衣手」は、別れる、帰る、や地名の田上山(たなかみやま)、高屋等にかかる枕詞である。

歌意は、夜霧が立っている高い屋根の上に横に長くかかるほどに、立っていることだ(『口訳万葉集』)というのだ。飛鳥浄御原宮から八釣の弟君新田部皇子(にいたべのみこ)といつも馬で、この辺りへよく来ておられたようだ。わが別宮を仰がれての御作と思う。
高屋は神名式に「大和の国城上郡高屋安倍神社とある。その地なるべし」と古義はしるす。澤瀉(おもだか)久孝博士や折口信夫博士はこの説を支持しておられた。

舎人皇子は天武天皇第三子、母は天智天皇皇女の新田部皇女である。都が奈良に遷ってからは平城京域に住居されていた。

『日本書紀』編纂総裁宮だった皇子は、ここ高屋の別宮に時々お出かけになっては史書編集の構想を練っておられたことであろう。 


染筆の熊谷守一(くまがいもりかず)画伯は明治十三年(一八八〇)四月二日岐阜県恵那郡付知(つけち)村に生まれ、現東京芸大卒。同期に青木繁らがいた。

昭和七年十二月、東京市豊島区千早村に自宅を新築して転居。昭和五十二年(一九七七)八月一日、九十七歳で没するまでの住居であった。

 

画伯の一周忌に東京は池袋の西武美術館で熊谷守一展があった。

その時の開催の挨拶文に、
熊谷さんは「私はたいがい庭にムシロをひいてねています、アリが通ったりするとそれをスケッチして、またゴロリと横になるといった調子で」、烏(からす)や虫や、草や木や、土や石と直(じか)に心を通わせておられる人でした(谷川徹三)としるされていたことが印象深い。

また無欲恬淡な画伯は文化勲章の受賞はお断りになったときいた。

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