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万葉歌碑-歌碑の紹介(44)

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No.44

降る雪は淡にな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに

  • 歌の解釈:降っている雪よ、あまりたくさん降ってくれるな、皇女を葬った吉隠の猪養の岡は寒いだろうから。
  • 万葉集:巻2~203
  • 所在:吉隠公民館広場
  • 著者:穂積皇子
  • 筆者:今日出海

歌碑44の画像

歌碑ものがたり(その19)

 (広報『わかざくら』平成12年5月15日号掲載)

  • 穂積皇子の挽歌

本市最東端吉隠公民館前に次の歌碑がある。


「降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに」(巻2-203)


この歌には、但馬皇女(たじまのみこ)が亡くなられた後に、穂積皇子が冬の雪の降る日、遥かにみ墓を望まれて悲しみの涙を流してお作りになった歌との詞書がある。

歌意は、雪は降っても、ひどく降ってくれるな。あの吉隠の猪養の岡がつめたかろうから。と訳した『口訳万葉集』は、土に蒲団も着せられずというた、其角(きかく)の句などよりも、幼稚ではあるが、真摯である。それだけ価値も大きいわけだとの注を付す。


万葉集釈注(伊藤博著)は、暑いさかりにさびしく世を去った皇女を思えば、十数年前の皇女の熱い愛情も偲ばれて、猪養の岡の肌寒さが皇子の心を襲ったのであろう、あわれ深い作で、万葉集中秀歌の一つとたたえる。
穂積皇子は天武天皇第五子、母は蘇我赤兄の娘の大 (おおぬ)媛。慶雲三年(七〇六)知太政官事となり、霊亀元年(七一五)一品(いっぽん)に進み、七月二十七日薨(こう)ず。


この皇子の歌は集中次の三首を載す。

「今朝の朝明(あさけ)雁が音(ね)聞きつ春日山黄葉(もみじ)にけらしわが情(こころ)痛し」(巻8-1513)

「秋萩は咲くべくあるらしわがやどの浅茅(あさち)が花の散りぬる見れば」(同-1514)、

「家にありし櫃に (かぎ)刺し蔵(おさ)めてし恋の奴のつかみかかりて」(巻16-3816)

 

右の一首について、穂積親王、宴飲(うたげ)の日、酒酣(たけなわ)なる時、好んでこの歌を歌うのが、いつもの例であったと注にしるす。

但馬皇女との悲恋が終生、皇子の心を痛めていたためでもあろうか。


歌碑は作家の今日出海(こんひでみ)書。

今先生は東光上人の令弟、函館市生まれ、東大仏文科卒。初代文化庁長官。直木賞の『天皇の帽子』は世評高かった。

昭和五十九年の没年まで国立劇場会長であった。享年八十歳。

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