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万葉歌碑-歌碑の紹介(47)

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万葉歌碑-歌碑一覧(初瀬の道コース)

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No.47

ひとごとをしげみこちたみおのが世に未だ渡らぬ朝川わたる

  • 歌の解釈:人の噂があれこれとひどくやかましいので、生まれてまだ一度も渡ったこともない朝の川を渡ることだ。(人目につかないよう早朝に帰る。)
  • 万葉集:巻2~116
  • 所在:出雲、初瀬街道沿い
  • 著者:但馬皇女
  • 筆者:阿波野青畝

歌碑47の画像

歌碑ものがたり(その18)

(広報『わかざくら』平成9年2月15日号掲載)

  • 但馬皇女の歌

「人言をしげみ言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る」(巻2-116)


歌意は、人の噂がうるさく、やかましく立って、そのために自分が生れて、まだ経験しない、哀しみに袖を濡らしている、というのだ。(『口訳万葉集』)深い川なら舟で渡るが、浅い川ゆえ、かち渉りして、ぬれたのにたとえたのであると折口信夫は注記した。


但馬皇女は天武天皇皇女で、母は藤原鎌足の娘の氷上娘(ひがみのいらつめ)である。

但馬皇女は高市皇子と同棲していたが異母兄の穂積皇子が恋しくてしかたがなかった。

万葉集にその恋心の歌が都合三首のる。

はじめの一首は「秋の田の穂向きのよする片寄りに君に寄りなな言痛(こちた)かりとも」(同-114)、もう一首は「おくれゐて恋いつつあらずは追いしかむ道の隈回(くまみ)に標)しめ)ゆへわが夫(せ)」(同-115)


この歌は、穂積皇子が勅命で近江の志賀の山寺に遣わされた時、但馬皇女がお詠みになった一首との詞書があるものだ。
かかるもゆる思いの歌三首も贈られている穂積皇子の返歌は載っていない。
この歌碑は俳人の阿波野青畝書である。


阿波野先生は明治三十二年(一八九九)奈良県高取町の生れ、旧制畝傍中学時代、俳誌『ホトトギス』に入会、句作をはじむ。

大正十二年、大阪西区の阿波野貞と結婚、阿波野姓をなのる。

大正末年には「ホトトギス」で頭角を表し、水原秋桜子、山口誓子、高野素十らとともに高浜虚子門の四Sと称された。
昭和四年から俳誌「かつらぎ」を創刊主宰した。連句にも通じ、柳田国男と両吟歌仙を巻くまでになったとのこと。
句集には「万両」「国原」「春の鳶」「紅葉の賀」「甲子園」「定本青畝句集」など多数。

平成四年(一九九二)十二月二十二日逝去九十三歳。

 

歌碑は「出雲」の初瀬街道沿い、初瀬川畔に西面して立っている。

以前、狛川のほとりにあったのを、現在地に移したという。


ところで、晩年病臥していられた但馬内親王邸から藤原宮へ薬草、オオバコなどを請求された木簡が出土した。


「受け給わらむ薬、(車前子(しゃぜんし)一升、西辛(さいしん)一両、久参(くさん)四両、右三種)多治麻(たじま)内親王宮政人(まつりごとひと)正八位下陽胡甥(やこのおい)」と「但馬」を「多治麻」と万葉仮名で書く。(毎日新聞奈良版さる二月二十九日付。)

情熱の歌人但馬皇女が今日もこのあたりさまよっておられるような錯覚に落ち入るような気になるではないか。

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