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万葉歌碑-歌碑の紹介(55)

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No.55

吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり

  • 歌の解釈:私は、ああ、安見児を得た。すべての人が得難いものという安見児を得たことだ。(鎌足が采女の安見児を妻にした時、喜んで作った歌である)
  • 万葉集:巻2~95
  • 所在:多武峰談山神社
  • 著者:藤原鎌足
  • 筆者:遠藤周作

歌碑55の画像

歌碑ものがたり(その30)

(広報『わかざくら』平成13年4月15日号掲載)

  • 藤原鎌足の歌碑

談山神社境内、蹴鞠の庭南端竹の植え込のある傍に次の歌碑が建っている。


「吾はもや 安見児得たり 皆人の得がてにすといふ 安見児得たり」遠藤周作

原文は
「吾昔毛也 安見児得有 皆人乃 得難尓為云 安見児衣多利」(巻2-95)


歌意は、どうだ。俺はねい、安見児を手に入れたぞ。それ、誰も彼も、
皆手に入れにくがって居るという評判の、安見児をば手に入れたぞ。と口訳した折口信夫は、素朴な放胆な歌で、殊に唐化主義の張本とも見える人から、儒教などの束縛を受けていない、本然の声を聞くのはおもしろい、と注記した。

従来どの学者も秀歌として扱っている。

安見児は、後宮下級女官の采女(うねめ)のことで、地方豪族の女(むすめ)を貢進(こうしん)、天皇に近侍して、主としてその食膳に奉仕した。

この女は天智天皇から下賜され鎌足の喜びようは欣喜雀躍せんばかりであった。


鎌足は、大化の功臣で藤原氏の祖。江戸の国学者、伴信友(はんのぶとも)は大織冠鎌足公に男子なし、はじめ孝徳天皇の御子を賜りて長子となす(定慧のこと)。

次に天智天皇の御子を賜りて二子とし給う(これ不比等)、この公より藤原氏が栄えたとしるす(松の藤靡(とうひ))。

不比等の母は鏡王女という。

万葉集に鎌足が王女に贈った歌(巻2-94)がある。集中二首をのこす。


染筆の遠藤周作先生は大正十二年(一九二三)東京生まれ、慶應義塾大学仏文学科卒業。

フランスに留学。帰国語「アデンまで」(三田文学)、「白い人」(近代文学)を発表し、芥川賞。以後毎日出版文化賞、新潮社文学賞、谷崎潤一郎賞等次々に受賞。

幼時にキリスト教の洗礼を受けたためもあって、日本人とキリスト教との内面的な関わりを生涯追求して描いた作家であったという。

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