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万葉歌碑-歌碑の紹介(59)

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No.59

射目立てて跡見の岳邊のなでしこの花総手折りわれは行きなむ奈良人のため

  • 歌の解釈:跡見の丘辺のナデシコの花よ。その花をたくさん手折って私は持って行こう。奈良にいる人のために。
  • 万葉集:巻8~1549
  • 所在:等弥神社
  • 著者:紀朝臣鹿人
  • 筆者:二条弼基

歌碑59の画像

歌碑ものがたり(その16)

(広報『わかざくら』平成12年2月15日号掲載)

  • 鹿人の秋の歌 

等弥神社本社、境内の下段に東面して、次の歌碑がある。


「射目立てゝ跡見の岳邊のなでしこの花 総手折りわれは行きなむ奈良人のため」(万葉集巻8-1549)


万葉集には短歌だけでなく、巻一巻頭の長歌のようなものや、旋頭歌(せどうか)といって「五、七、七、五、七、七」と詠むもの、薬師寺などにある仏足跡歌といって「五、七、五、七、七、七」といった歌体がある。この歌は旋頭歌だ。

「射目立てて」は地名の「跡見」にかけた枕詞。「総手折り」は「ふさふさとたくさんある」という意味。作者は紀鹿人。さきの「茂岡」の歌等、集中三首録す。
鹿人は聖武天皇の時、主殿頭(とのもりのかみ)、大炊頭(おおいのかみ)。

 

この歌の時は「典鋳正(いもののかみ)で衛門大尉(宮中の諸門を守衛する衛門尉の三等官)である大伴稲公(いなぎみ)の跡見の庄を訪ねて作る歌」との詞書がある。
歌意は、「跡見の岡のあたりに咲いている撫子の花よ。それをふさふさと沢山折りとって帰ろうよ。奈良の家に待っている人のために」というのだ。
紀氏と大伴氏とは親交があった。鹿人の娘、紀の女郎(いらつめ)が大伴家持に贈った相聞歌が万葉集に十二首のっている。家持の返歌も八首ある。大伴の稲公は安麻呂の子で、旅人や坂上郎女の弟である。因幡守、上総守、と歴任、晩年は大和守であった。


この歌碑の字は神宮大宮司だった二條弼基(ためもと)書。
二條家は藤原北家嫡流の五摂家の一。鎌倉時代九條家から分かれ二條家を建てた。

明治維新で公爵。華族の最高位だったが、今次大戦後この制度は廃止された。
碑陰に「神宮祭主鷹司和子様御参拝記念、昭和五十二年十一月二十五日建之」と刻む。

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