日本芸能の発祥の地《土舞台の顕彰》

更新日:2022年03月01日

「土舞台」については「日本書紀」の推古天皇20年、時の摂政聖徳太子に、百済人味摩之が我が国に帰化して、「呉に学びて、伎楽の舞を得ました」と申し上げた。そこで太子は「桜井」にて我が国の少年を集めて、この伎楽の舞を習わしめたとしるす。伎楽とは、古代チベットやインドの仮面劇で西域をへて中国に伝わり、散楽といわれたものである。

我が国には「神楽」があったがこの時以来、宮廷に伎楽が加わって日本の芸能は幅広い豊かなものとなった。ところが、宮廷が衰えた武家時代に、これらの音楽家は天王寺や住吉、春日等大社寺に保護されて、民間でも演技を行うようになっていった。

現在、桜井の児童公園内のこの史蹟地のことは、江戸時代の「大和名所図絵」にも紹介されているが、一般にはほとんど知られなくなった。

戦後、桜井市出身の文筆家保田與重郎氏が、これだけの史蹟地を顕彰しないことはないと考えられ、市内有志にはかり趣意書をしたためられた。

「聖徳太子伝暦」をも調べ、「土舞台」は、日本最初の国立劇場であり、また、太子は国立演劇研究所をも併置して芸能文化のため尽くされた、といった17枚に及ぶ長文を執筆配布。やがて昭和47年11月4日、「土舞台」と刻した標石の前で顕彰会に市が後援で盛大な顕彰式典が挙行された。

当日、特別来賓として朝永振一郎(ノーベル賞受賞の物理学者)夫妻、福田恒存(劇作家)、森繁久弥、岸田今日子、仲谷昇氏らが出席していた。森繁氏が芸能人代表で、歌舞伎から漫才に至るまで、我が国の芸能人は、当地に参ってから各自の芸を演ずべきだ、と感動をもって挨拶していた。

爾来毎年、土舞台顕彰会主催(初代会長西垣栄一氏・現会長重坂眞一氏)顕彰式典を行って平成6年は23年目、篝能を行うようになって15年目になる。我が国演劇史上の大切な史蹟地が当市に1300年伝承されてきたことは大いに意義のあることではなかろうか。

土舞台(つちぶたい)顕彰碑の写真 石碑に土舞台と書かれています

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