万葉集の発耀の地《泊瀬朝倉宮の顕彰》

更新日:2022年03月01日

黒崎の神社東北の丘が、泊瀬朝倉宮の跡との伝えである。

第21代雄略天皇の宮都で大泊瀬稚武(オオハツセワカタケル)天皇と申し、万葉集20巻4516首中の開巻第1首目を次の如く読まれた。 こもよ みこ持ち ふぐしもよ みふぐし持ち この岳に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね。そらみつ 大和の国は おしなべて あれこそをれ しきなべて あれこそませ あをこそ、背とは告らめ 家をも名をも(万葉集古義)
という歌で、春先、宮廷付近の丘で若菜を摘んでいた娘に結婚を申し込まれたのである。

昔は、女の子の名は母しか知らなかった。それゆえ、名を明かすことは求婚に応じることを意味した。

若菜を摘む行事は、今も正月7日の七草粥に伝わっている。正月のおせち料理のあと、7日に初めて雪をわけ若菜を摘んで食べ、生気を養うというしきたりなのだ。

ところで昭和43年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土の金象嵌の鉄拳に刻まれていた115字(漢字)がレントゲン撮影の結果、「シキノミヤ」とか「ワカタケル大王」と判読できた。先の明治6年、熊本県菊水町・江田船山古墳出土の銀象嵌の鉄剣銘75字のうちから「天の下しろしめししワカタケル大王」とよんでいた。

これらによって、我が国の古代の大英雄、「倭成す神」雄略天皇は当時、関東から九州まで統治されていたのだと分かった。

かかる偉大なる天皇の明るく、やさしい恋歌から万葉集は始まっているのだ。編者の構想のすばらしさが心にくいばかりではないか。

万葉集の成立について「日本の文学史」(保田與重郎著)に、万葉集開巻の朝倉宮御製からうける感情は私にとって、特異なものだった、という著者は日本人として生まれ、日本の最も古い詩歌の一つを己の命の始めのそのまま、そのものとしているような、これを生甲斐というのだろうか、としるし、さらに、人のいのちの今生一世に詩歌文芸というものが何であるのかを考えた時、私はただこの国にうまれたよろこびというより他の表現をさがし出し得ない。

そういう感動の凝固したものが、この朝倉宮の御製だったと溢れ出ずる感情の昂りを示されていた一文を思い出す。

萬葉集発燿讃仰碑(まんようしゅうはつようさんごうひ)の写真

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