桜井の歴史(中世)

更新日:2022年03月01日

桜井の歴史(年表)中世

(『わが町桜井』より、発行者:桜井市・桜井市教育委員会)

桜井の歴史(年表)中世
時代 西暦 年号 事項
鎌倉時代 1185 文治 3月 平氏一門壇ノ浦に滅亡する。源義経多武峯藤堂にかくまわれる。
1192 建久 3 7月 源頼朝、鎌倉に幕府を開く。
1209 承元 3 3月 後鳥羽上皇、長谷寺に参詣ののち、大野寺石仏供養に臨む。
1234 文暦 安倍寺を再建する。
1242 仁治 3 4月3日 叡尊、長谷寺で104人に菩薩戒を授ける(感身学正記)。
1275 建治 この頃から長谷に能楽の弥勒大夫の一座あり。
1280 弘安 3 5月17日 初瀬川に洪水おこる。
1283 弘安 6 叡尊、岩田郷広読寺で105人に、また三輪で440人に菩薩戒を授ける(感身学正記)
1285 弘安 8 叡尊、大御輪寺を中興し西大寺の末寺となる(興正菩薩行実年譜)。
1333 正慶
元弘
2
3
5月 鎌倉幕府滅ぶ。
南北朝時代 1340 暦応
興国
3
3月 幕府仁木頼章に「吉野通路関所警固」を命じ西阿を討たせる。
1341 暦応
興国
4
2
3月15日 幕府軍細川顕氏将となり河合城を攻略する。
7月2日 戒重城を攻撃,陥落する。
7月3日 安房,外山,赤尾,外鎌山の諸城も陥落する。
1351 観応
正平
2
6
11月9日 多武峯一山の伽藍坊舎焼ける。
1392 明徳
元中
3
9
10月2日 南北朝の和議ととのう。
室町時代 1402 応永 9 10月 足利義満、長谷寺に参詣する。その後しばしば参詣する。
1403 応永 10 5月5日 足利義満多武峯参詣、翌日長谷寺にも参詣する。
1409 応永 16 この頃から天神講連歌会はじまる。
1429 正長 2 2月 後南朝方、幕府軍と長谷寺に戦う。
5月3日 観世・宝生、多武峯芸能(猿楽)を演ずる。
1435 永享 7 南朝の遺臣、多武峯に拠る(十津川記)。
1437 永享 9 1月18日 幕府軍の武田信栄ら、多武峯にこもる越智維通等を討つ。
1438 永享 10 8月28日 多武峯、畠山持国(管領)の大軍をうけ堂舎焼かれる。大織冠御影、橘寺に難を避ける(大乗院日記目録)。
1445 文安 2 3月20日 一条兼良ら春日詣、長谷寺詣をし、観音の開帳があった。
1451 宝徳 3 11月 多武峯船(八号船)明と貿易のため出航する。多武峯の大織冠は12年間長谷寺に移座する。
1453 享徳 2 3月30日 長谷寺・多武峯は天竜寺などと幕府に請い、対明貿易をおこなう。長谷寺と多武峯は楠葉西忍が宰領し、翌年7月に帰国した。
6月9日 大和四座、多武峯芸能(猿楽)を演ずる。
1459 長禄 3 この頃、箸中に飴粽座あり(大乗院寺社雑事記)。
1466 文正 10月1日 多武峯僧徒、越智家宗を攻める(大乗院寺社雑事記)。
1467 応仁 5月 応仁の乱おこる。
1471 文明 3 8月 能阿弥 長谷寺で没する。
1481 文明 13 3月 多武峯衆徒と越智党の争いおこり、衆徒戒重を攻め多数討死する(大乗院寺社雑事記)。
1496 明応 5 2月 三条西実隆は吉野から飛鳥を経て安倍の文殊に詣で、長谷寺・三輪を経て奈良に向かう。
1505 永正 2 1月4日 筒井党・越智党の和議成立する。
1506 永正 3 7月 赤沢朝経の大和侵入に対し、大和国衆は連判状をもって盟約し、箸尾・十市は多武峯にこもる。
9月5日 沢宗益多武峯を攻略、一山焼かれる(大乗院寺社雑事記)。
1516 永正 13 10月 越智・筒井両党の和議破れる。
1529 享禄 2 1月 幕府軍柳本賢治ら大和国に乱入する。
1532 天文 6月 多武峯十三重塔を建造する。大和に一揆おこり、高取城を攻め、多武峯を攻め損じる。
1559 永禄 2 十市遠勝、多武峯に拠り松永久秀を攻める。
1563 永禄 6 2月 松永久秀の軍兵、安倍寺に乱入し、堂宇を焼く(崇敬寺来由記)。
1569 永禄 12 この頃、三輪素麺ひろく製造販売される(多聞院日記)。
1573 天正 7月 織田信長、室町幕府を倒す。

年代は西暦・日本年号の順に記したが、1872(明治5)年までの月・日は旧暦によった。 改元にあたる年の年号は、改元の月にしたがわず年初にしめした。

(注釈:時代区分については諸説あり、目安として記載してあります。)

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