桜井の歴史(近世)
桜井の歴史(年表)近世
(『わが町桜井』より、発行者:桜井市・桜井市教育委員会)
時代 | 西暦 | 年号 | 年 | 事項 |
安土桃山時代 | 1580 | 天正 | 8 | 9月 織田信長大和の寺社本所領ならびに大和武士に指出しを命ずる。多武峯8,000石、戒重1,500石、大仏供500石、吉備100石、河合100石を指出す(多聞院日記)。 10月28日 戒重氏興福寺金蔵院で、大仏供氏興福寺新屋で殺害され、所領を没収される(多聞院日記)。 |
1585 | 天正 | 13 | 8月 大和武士の多くは筒井氏の国替にともない伊賀国上野に移される。大和郡山城主として豊臣秀長入部する。 閏8月25日 多武峯に刀狩りがおこなわれる。 |
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1586 | 天正 | 14 | 7月9日 豊臣秀長、南都巡行で桜井村に馬用達を命じた。 | |
1588 | 天正 | 16 | 3月26日 多武峯大織冠、郡山に遷座の綸旨がでる。 | |
1590 | 天正 | 18 | 12月28日 豊臣秀長の病気平癒のため大織冠郡山から多武峯に帰座する。 | |
1593 | 文禄 | 2 | 大神神社の造営はじまる。奉行は豊臣秀保。 | |
1595 | 文禄 | 4 | 8月~9月 大和国内に惣国検地がおこなわれ、村高が決定した。その結果、多武峯領3,000石、三輪大宮・若宮・平等寺に175石、長谷寺に300石寄進される。 | |
江戸時代 | 1600 | 慶長 | 5 | 島津義弘(薩摩)関ケ原の戦いに敗れ、70日あまり三輪平等寺に滞在する。 |
1603 | 慶長 | 8 | 2月 徳川家康、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く。 | |
1615 | 元和 | 元 | 5月 大坂夏の陣で豊臣氏滅亡する。織田有楽斎、所領を三分する。 | |
1617 | 元和 | 3 | 9月3日 幕府、多武峯神殿仏閣の造営を命ずる。 | |
1618 | 元和 | 4 | 織田長政、旧戒重城を接収して陣屋をかまえる。 | |
1619 | 元和 | 5 | 8月 式上、十市郡の天領の多くは津藩(藤堂氏)領となる。 | |
1621 | 元和 | 7 | 12月 織田長益(有楽斎)の急逝でその養老料地は天領となる。 | |
1627 | 寛永 | 4 | 沢庵、紫衣事件により三輪の草庵に入る。 | |
1667 | 寛文 | 7 | 比丘宴光玄賓庵を中興する。 | |
1687 | 貞享 | 4 | 松尾芭蕉、伊賀から初瀬、三輪、多武峯を歴訪する。 | |
1696 | 元禄 | 9 | 織田長清、京都の儒者北村可昌をまねき戒重藩校遷喬館を設立する。 | |
1704 | 宝永 | 元 | 戒重藩、式上郡岩田村へ屋敷替えを願い出る。 | |
1713 | 正徳 | 3 | 岩田村を芝村と改称した。 | |
1714 | 正徳 | 4 | 戒重藩主織田長清は「織田真記」の編纂をおこなった。 | |
1742 | 寛保 | 2 | 芝村陣屋完成する。 | |
1753 | 宝暦 | 3 | 芝村藩預りの十市郡天領九か村、京都町奉行に苛政を箱訴する。 | |
1754 | 宝暦 | 4 | 江戸で芝村騒動の取調べの結果、死罪1人、遠島4人、追放32人の罪が決定した。 | |
1768 | 明和 | 5 | この年凶作のため百姓一揆がおこり、芝村屋敷へ2千から3千人つめかけ、大庄屋宅をも打ちこわす。 | |
1771 | 明和 | 8 | 4月上旬から伊勢おかげ参りはやり、初瀬街道の往来ふえる。 | |
1772 | 安永 | 元 | 3月 本居宣長、初瀬、多武峯、吉野を歴訪する(菅笠日記)。 | |
1787 | 天明 | 7 | 米騒動三輪に及ぶ。 | |
1788 | 天明 | 8 | 3月 上田秋成、大和に遊び三輪、安倍文殊などに詣ずる(岩橋の記)。 | |
1794 | 寛政 | 6 | 芝村藩に収賄事件がおこり、天領の預り所を免ぜられた。 | |
1799 | 寛政 | 11 | 75日間の旱魃となり各地(岩室、百済、大福、三輪、宇陀、今井等)で一揆おこる。桜井附近は大坂米で命つなぐ。 | |
1811 | 文化 | 8 | 6月15日 初瀬川に大水が出、家屋敷30か所流失、20軒損失、60~70人の死者を出す。世に初瀬流れという。 | |
1830 | 文政 | 13 | 伊勢おかげ参りがおこり、当地でも乱狂の様相を呈した。 | |
1832 | 天保 | 3 | 天保の飢饉がおこる。 | |
1854 | 安政 | 元 | 6月14日 安政の大地震おこる。つづいて後日大地震、余震続く。 | |
1863 | 文久 | 3 |
8月18日 天誅組大和五條に挙兵する。 その間、天誅組前田繁馬は慈恩寺で捕えられ、斬首、楠目清馬は下居で自害する。 |
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1867 | 慶応 | 3 | 10月 当地にお祓札が降り「ええじゃないか」が流行する。 10月14日 大政奉還。 12月9日 王政復古。 |
年代は西暦・日本年号の順に記したが、1872(明治5)年までの月・日は旧暦によった。 改元にあたる年の年号は、改元の月にしたがわず年初にしめした。
(注釈:時代区分については諸説あり、目安として記載してあります。)
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更新日:2022年03月01日