磯城嶋金刺宮(シキシマカナサシノミヤ)伝承地

更新日:2022年03月03日

磯城嶋金刺宮伝承地の写真

国への仏教の伝来が記される

磯城嶋金刺宮は、第29代欽明天皇が営んだ宮です。

日本書紀には、欽明天皇の時、百済の聖明王から仏像や経文などが献じられ、我が国に仏教がはじめて公的に伝えられたことが記されています。

この頃、仏教の受け入れについては賛否があったので、天皇は試しに大臣の蘇我稲目に仏像を授けて礼拝させました。

※また、記紀によると、このころ大和朝廷の勢力は、任那を拠点に朝鮮半島へも広がっていたとされています。

しかし、友好関係にあった百済の聖明王が新羅との戦で亡くなると、新羅により任那も滅ぼされてしまいました。

欽明天皇は、任那の復興を期して新羅と戦いましたが、果たせなかったとされています。

※仏教公伝の年については、日本書紀の記述によると西暦552年になりますが、『上宮聖徳法王帝説記』などによると西暦538年になり、後者が有力な説とされています。

記紀万葉の物語(欽明天皇の条)

百済の聖明王

仏教の公伝

任那の滅亡