泊瀬列城宮(ハツセナミキノミヤ)伝承地

更新日:2022年03月03日

泊瀬列城宮伝承地の写真

ヤマト王権の重要拠点の一つ

泊瀬列城宮は、第25代武烈天皇が営んだ宮です。

宮のあったとされる初瀬谷は、大和の国から伊勢・東海方面へ通じる古代の主要道となっていました。

谷の入口には、雄略天皇の泊瀬朝倉宮もあったとされ、ヤマト王権の重要な拠点の一つであったと考えられています。

日本書紀には、武烈天皇と当時、権勢をほしいままにしていた大臣の平群眞鳥(ヘグリノマトリ)との争いや、その息子の平群鮪(ヘグリノシビ)と影姫をめぐる悲話が記されています。

また、武烈天皇には子がなく、次代には、応神天皇の5世の孫となる継体天皇を越の国(北陸)から迎えたと記されています。

記紀万葉の物語(武烈天皇の条)

影姫悲話